唐 招提 寺 と は
聖武天皇の招きに応じて、多くの苦難の末に来日した唐の高僧の鑑真和上によって天平宝字3年(759年・奈良時代中期)に建てられた寺院です。いまでも境内には、鴟尾をのせた瓦屋根の金堂、平城宮から移された講堂、校倉造の宝蔵などの建物が奈良時代の姿をとどめています。また天平時代の仏像なども多く残されていて、国宝、重要文化財に指定されています。 昭和35年(1960年)創建当時の場所に復元されました。門には、孝謙天皇直筆と伝えられる額の模作が掲げられています。
唐招提寺
世界大百科事典 内の 唐招提寺講堂 の言及 【唐招提寺】より …奈良市五条町にある律宗の総本山。古くは唐律招提寺ともいわれ,単に招提寺ともいう。唐僧 鑑真 の開基にかかり,今日,金堂,講堂,鐘楼,鼓楼,東室,経蔵,宝蔵,閼伽井(あかい)(醍醐井)などの伽藍が白砂青松の中に規矩整然とのこり,奈良時代寺院の面影を今に伝える唯一の寺である。12年の歳月と6回目の渡航によって伝戒の初志を貫徹しようとした鑑真とその随伴の諸僧は,東大寺唐禅院に留住していたが,758年(天平宝字2)僧綱の任より解放された鑑真は,平城右京5条2坊にあった新田部親王の旧宅の地を拝領し,757年に賜った備前国の水田100町を財源として当寺を創建した。… ※「唐招提寺講堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典| 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について | 情報
とうしょうだい‐じ〔タウセウダイ‐〕【唐招提寺】 唐招提寺 寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。 唐招提寺 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 10:11 UTC 版) 『 続日本紀 』等によれば、唐招提寺は 唐 僧・ 鑑真 が 天平宝字 3年( 759年 )、 新田部親王 ( 天武天皇 第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたものである。寺名は当初は「唐律招提」と称した。「招提」は、 サンスクリット のcaturdesa(「四方」の意)に由来する中国語で、四方から僧たちの集まり住する所を意味した。鑑真研究者の安藤更生によれば、唐では官寺でない寺を「招提」と称したという。「唐律招提」とは、「唐の律を学ぶ道場」の意であり、後に官額を賜ってから「唐招提寺」と称するようになった [1] 。 唐招提寺と同じ種類の言葉 固有名詞の分類 唐招提寺のページへのリンク