大童法慧 | 『千の風になって』に思う
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Ado「うっせぇわ」の歌詞の意味に迫る!右に倣えの社会に一喝 | 歌詞検索サイト【Utaten】ふりがな付
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より 【命の定義とは?「千の風になって」的アニミズム?】 命の定義とはなんだろう。まず語るべきは、生物と無生物との境界とは? という命題だろうか。 生物と無生物との境界とは? そこで登場するのが、ウイルスという存在だ。ウイルスは、他の生物の細胞を利用して、自己を複製することができる存在だ。しかし、自力での自己複製はできない。それだけでなく、ウイルスは、代謝を行なわない。つまり、単体として存在するときは、完全に静的な存在であり、何らの活動も行わない。他の生物の細胞に侵入し、それを利用して自己複製する過程も、あるいは突然変異による変化も、純粋に化学的反応によるもので、自発的な活動らしきものは一切やらない。 そこで、現在の生物学上では、ウイルスでは生物ではなく無生物であるとされている。が、しかしこれはあくまで現段階における便宜上の位置づけに過ぎない。生物ではないものの、生物学的存在ではある、とか言われたりもする。結局、現在の科学においては、生物と無生物の境界については、どう定義すべきかよくわかっていない、というのが現状のようだ。 ガイア理論──地球は生きている? Ado「うっせぇわ」の歌詞の意味に迫る!右に倣えの社会に一喝 | 歌詞検索サイト【UtaTen】ふりがな付. 命の定義について語る上では、ガイア理論の存在も外せないだろう。 これは、地球は一種の巨大生命体だ、とする理論だ。しかしながらこれは、地球が生物学的な意味での生物に該当する、という意味ではない。ましてや、地球が意思を持つ、という意味でも無い。これは、地球における生物の存在が、地球の気候や環境の安定化・恒常化にとって重要な役割を果たしている、とする理論だ。そして、もし地球に生物が存在しなかったら、今あるような形での生物が存在できるような環境は維持されなかっただろう、ということだ。 無生物である地球と、そこに生息する生物との密接な関わり合いが、一種の地球環境統制システムを作り出している。それは一種の生命体とみなすこともできるかもしれない。これが、私が理解する限りでのガイア理論の概要である。生物学的な意味での生物と無生物との境界とは? という命題とはまた違った形でのアプローチなのが面白い。 ビッグバン宇宙論──宇宙は生きている?