横浜銀蝿ジョニー昔
横山剣 (クレイジーケンバンド) 昔、保土ヶ谷区の権太坂にワークス仕様のフェアレディZが飾ってあるファンキーなガソリン・スタンドがありまして、レース好きの僕は非常に気になっていましたが、もうひとつ気になる場所が南区の井土ヶ谷にもありまして、それは「パブ権太坂」というお店。パブは漢字の当て字で「覇舞」と書いてあり、玄関には白いシーサーが2頭鎮座しておりました。それにしても「井土ヶ谷なのになぜ権太坂?」って思っていたら、このパブは権太坂のガソリンスタンドの系列店だったからなんですね。で、このガソリン・スタンドとパブの両方で働いていたのが、後にT. Sのリード・ヴォーカル兼サイド・ギターとして華々しくデビューした翔さんだったんですね。もちろん、その当時、翔さんのことは存じ上げませんでしたが、上記2店舗がただならぬ電波を発していたのは強烈に記憶に刻まれていて後から「なるほど!そういうことだったんだ!」と合点が行きました。また中1から中3までを横浜市戸塚区のドリームランド周辺で過ごした僕にとって戸塚区は、中区、港北区に次ぐ第三の故郷でしたので、T. Sのリーダー兼ドラムスの嵐さんと、その弟の翔さんが戸塚区出身と知った時に勝手に親近感を抱いておりました。しかも、デビュー・シングル「横須賀ベイビー」の歌詞には「ドブ板通り」や、汐入の「ディスコ・サンタナ」といった10代の頃から馴染みのある場所が出て来たり、そのB面の「ぶっちぎり Rock'n Roll」では、懐かしいヤンキー・ホーンの調べに、中学時代を過ごしたドリームランド周辺で繰り広げられていた土曜の夜のモーターショウが思い出されました。勿論、この2曲に限らず、T. ギターのJohnnyが明かす「横浜銀蝿」37年ぶり再結成の舞台裏 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]. R横浜銀蠅R. Sの楽曲の数々には1970年代の横須賀線沿線のノリ、空気の粒々、植物性オイルの香り、セリカ1600GTとギャランGTOの排気音がスパイスとなってサウンドの其処此処に散りばめられていて、ツッパリながらも痛みも愛も愛嬌もある人懐こい歌詞とともにこの胸をギューッと締め付けるのでありました。 T. Sの再始動、心よりお祝い申し上げます!全開バリバリ!夜露死苦!イイネ!イイネ!イイネ! 義家弘介 (衆議院議員) 少年時代、私は横浜銀蝿に夢中だった。でも、周りの大人達は、そんな私にいつも眉をひそめた。あんな風にはなっちゃだめだぞ、と。 私は思った。あなた達のようなオトナにはなりたくない、と。 ———あれから40年。 あの頃、眉をひそめていた大人達はとうの昔にリタイアされた。みんな、変わった。世界も、時代も、変わった。 しかし時代が令和に変わり、横浜銀蝿はオリジナルメンバーで復活する。変わらぬ風貌で、あの頃を凌駕するエネルギーを引っさげて!
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横浜銀蝿 Johnny(素顔)から嶋大輔へ手紙 - YouTube
ロックバンド「横浜銀蝿」の翔(56)が29日に放送されたTBS「爆報!THE フライデー」に出演。薬に溺れた過去を語り、03年に逮捕されて以来初めて横浜銀蝿としてパフォーマンスを披露した。 翔は覚せい剤取締法で97年、98年、03年と3度逮捕。03年に3度目の逮捕をされてから、その転落人生をテレビで初告白。「大したことないんじゃない?という気持ち」「自分の体のことだからとやかく言われることねえじゃん」と軽い考えで覚せい剤に手を出したという。 「治す方法はないと思う」と自身の経験を元に語ったが、2度目の服役中だった04年、兄の嵐(60)が小脳梗塞で倒れた新聞記事を読み深く反省。「家族に何かあった時に駆けつけてあげられないところにいるというのはどれだけ情けないことなのか…本当に心から思った」としみじみ語った。 横浜銀蝿のメンバー4人そろい、スタジオで「ツッパリ High School Rock'n Roll(登校編)」を披露。03年の逮捕以来初のパフォーマンスとなったが、テリー伊藤(65)は「翔の声が出ている。これは(薬物を)やってないな」と復活に太鼓判を押した。 翔は「このメンバーがいなかったら立ち直れなかった。本当に感謝している。これから頑張ってやり続けたい」と何度裏切っても見捨てないでくれた仲間に感謝した。