本当に私でいいのと聞く彼女の心理 | Blair, 中原 中 也 月夜 の 浜哄Ū
ちなみにカウンセリングで取り組む場合は、 「楽しんで取り組んでみよう」と思われたきっかけって なんだったんでしょう? 楽しんで取り組む前は、いったいどういう感じだったのでしょう? こんな風に、クライアントさんと一緒に、心の奥に潜っていき、 「今の自分が認められない」原因の大元を探っていったりします。 すると、悲しみや怒りの奥の奥に 「あの人に、喜んでもらいたかった」 「あの人を、悲しませたくなかった」 「あの人のために、頑張りたかった」という クライアントさんの愛 が眠っている場合が多いんですね。 そこにアプローチしてあげることで、 心のパターンを緩めてあげることが出来たりしますよ Aさんや、みなさまが より楽しく、あなたらしい生き方が出来ますように・・・・ 参考になれば幸いです。 Aさん、コメントありがとうございました * * * * * 服部希美の「電話カウンセリング」は主に 平日の21時~、22時~ 、23時~で待機しております 初回は無料でお話しできますので、お気軽にどうぞ また、名古屋の鶴舞のカウンセリングルームで 「面談カウンセリング」も行っております。 ご希望日・時間などありましたら 予約センターにお問い合わせくださいませ
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「本当に私でいいの?」昔は“重い女”だった私が彼に言わないこと|ウートピ
恋愛経験をある程度積み重ねてきて、酸いも甘いも知っているオトナだからこそ、パートナーにあえて「言わない」ことをあえて拾って、恋愛コラムニストの桐谷ヨウさんにアドバイスをいただく連載「◯◯って言わない女子」。 ヨウさーん! 今回はこんなつぶやきを発見しましたよーー!! 【今回のつぶやき】 「本当に私でいいの?」 30代の女性です。20代は恋愛でいろいろ痛い目を見ましたが、経験を積んだ(? 「こんな私でいいのかな?」って感じてしまう時(2) | 心理カウンセラー 服部希美. )おかげで、いまはわりと平和に男性とお付き合いしています。 はっきりものをいう性格のせいか、人からは「自信がありそう」「大人の女性」と見られることが多いです。でも元々は自己評価が低く、特に恋愛で苦労したせいか本当は自信がありません。 せっかく男性とお付き合いをすることになり、最初のうちはいい関係を築けていてもつい昔の自分がひょっこり顔を出して、表題のようなセリフを言ってしまいそうになります。 ただ、こういうことを言うと男性は「重い」と思うと思うので、ぐっとこらえています。本当は、自信がない重い女です。長く付き合っていくうちに私の暗い部分がバレて捨てられてしまうのでは?
「こんな私でいいのかな?」って感じてしまう時(2) | 心理カウンセラー 服部希美
男性からの告白や誘いに対して、「私でいいんですか?」という発言をする女性に遭遇したことがありますか? 使ってはいけないエセ心理学 使ってもいい心理学 - 妹尾武治 - Google ブックス. イエスかノーの返事ではなく、疑問を相手に投げかけているという状態なのですが、彼女たちはどのような心理からこのセリフを発しているのでしょう。 今回は、「私でいいんですか?と応える女性の心理8つ」についてレクチャーしていくので、女性に告白する際の参考にしてみてくださいね。 「私でいいんですか?」と応える女性の心理8つ 告白の場面で、「私でいいんですか?」と疑問形でリアクションをする女性は一定数存在しています。 男性からすると、なぜわざわざ自分の気持ちを再確認してくるのかと不思議な感情を抱くかもしれませんが、女性達は主に以下の8つのような心理で質問をしています。 承認欲求が強い 甘えたい 自分に自信がない 意外で信じられない 男性に守ってほしい 謙虚な女性を演じたい 時間稼ぎをしている 以前にトラウマがある それでは、それぞれの心理状態について解説していきます。 1. 承認欲求が強い 告白や誘いに対して、「私でいいんですか?」と返せば、男性は必ず首を縦に振ります。 こういった発言をする女性は、男性がどのくらい自分のことを好きなのかを確認したいという思いがあり、自分のことを認めてほしいという承認欲求が強い傾向にあります。 「私でいいんですか?」というセリフは一見すると謙虚で控えめな女性のような印象を受けますが、承認欲求の強い女性は基本的に自分に自信があるため、 男性からおだてられてチヤホヤされたいという心理が働いている のです。 2. 甘えたい 甘えん坊気質な女性は、常に男性から可愛がられ愛されたいという願望を持っています。 そのため、「私でいいんですか?」と問うことで、相手から甘い言葉をささやいてもらうことを期待しているのです。 このタイプの女性は、自信過剰であったり性格の裏表が激しかったりというわけではなく、純粋に相手に甘えたいという心理からこのセリフを発しているという特徴があります。 常に強い愛情表現を求めている ため、告白や誘いのシーンでも「私でいいんですか?」と言うことで、相手が甘いセリフを吐かざるを得ない状況を作り出しているのです。 3. 自分に自信がない これまでに男性経験がない女性や、自分の見た目にコンプレックスがある女性の場合、誘いに対してネガティブ思考な返答をしてしまいます。 自分が男性にモテるはずがないという意識があることから、もし何かの間違いだった際に自分を守るための保険として、「私でいいんですか?」と相手に尋ねているのです。 また、普通に恋愛経験がある女性でも、男性がイケメンだったり人気者だったりと、自分よりも高スペックな相手の場合には自信をなくしてしまう傾向にあるため、やはり同様に自分が相手に釣り合っているのかを相手に確認しがちです。 そのため、 自分よりもスペックが低い相手に対してはこういった発言をすることがない という特徴があります。 4.
使ってはいけないエセ心理学 使ってもいい心理学 - 妹尾武治 - Google ブックス
質問日時: 2006/09/28 19:39 回答数: 7 件 こんばんは。前から自分の心理で気になることがあります。 元彼女から付き合っているときに 『こんな私でいいの?』って言われて どうしようもないぐらいムカムカしたことがあります。 しかし、相手に悪意は無いので、こちらも感情を隠して 笑顔で『もちろんさぁ!』なんて言ったりしていました。 別に僕にとってムカつく内容の発言でもないはずなのに… なぜか『こんな私でいいの?』と言われると… ムカつきます。 なぜでしょうか?以前から疑問です。 ちなみに元彼女も僕も見た目とかは普通のタイプですし、 そのあとに付き合った女の子に同じことを言われたときも 同じようにムカつきました。 No. 7 回答者: cactustale 回答日時: 2006/09/29 15:08 ちょっと切なくなったので、女性としてコメントさせていただきます。 「こんな私でいいの?」という女性の心理は、 「こんな私と付き合ってくれてありがとう」 と自分を卑下して言うことで、 「あなたは(私より)魅力的なのに!」 という感じで、相手を立てて言っているつもりなのです。 なので、 「もちろんさ!」というのもうれしいのですが、 「こんな、なんて言うなよ、お前は最高の彼女だよ。」 みたいに、自分で卑下したぶんを、「お互い同じ」くらいに引き上げてほめてもらると、とてもうれしい…というより、そうほめてもらいたくて言っているようなものなのです。 わざわざそんな遠まわしこと言うなんて…と、確かに思いますが、「好きって言って!」とせがんで「好き」と言われてもうれしくないように、直接言って欲しい事を「言って」とは言えず、こんなことを言ってしまうものなのです。 そんなときは、どうか「はぁ! ?」とムカつかずに、「そんなこというなよ」となだめてあげてください。それから、「最近彼女のことほめたっけ・・・?」と、彼女が寂しがってないかどうかちょっと考えてみてくださいっ >< 以上、彼女さんの気持ちになってみました、 失礼しました! 7 件 No. 6 minttea3 回答日時: 2006/09/28 22:16 「こんな私でいいの?」 →「もちろん、いいに決まってるだろう!」 ‥と言わざるを得ませんよね。 要するに、蒸気の質問をする女性っていうのは、彼から「いいに決まってる」「君がいいんだ」と甘~い言葉をかけてもらうのが当然だと思っているわけです。 心ある男性なら、例え本心では少々迷いがあったとしても、彼女が欲しがっている「いいにきまってるさ」とという台詞を言いますからね‥。 これは、恋愛中の女性が自分を謙虚に見せつつ、相手に自分のすべてを許容させようという、お決まりの台詞なんですよ。 こういう台詞をいう女性っていうのは、恋人同士にしか出来ない甘~いやりとりに、酔っているんでしょうねぇ。 それに付き合わされるほうは、確かに白けますよね。 相談者さんも、決まりきった甘い台詞を彼女から強要されているから、腹が立つのではないでしょうか?
私は女性ですが、こういう一見謙虚に見えて、その実自分を受け入れない返答を相手に絶対させない、したら最低のひどい奴になるという台詞を使う女性っていうのは苦手です。 見かけと違って傲慢だと思います。 2 No. 5 cbko 回答日時: 2006/09/28 21:11 彼女さんは自分に自身がないのかもしれませんね。 「こんな私でいいの」というのは「あなたにはもっと他に素敵な人がいるんじゃないの」っていう意味で。 好きな人からそんなこと言われてあなたは「何いってんだ」と思うのも 当然かと。だって好きだから一緒にいるんだもの。 あこがれの人、尊敬する人ならなおさら、「何で私を選んでくれたんだろう、どこがいいのかな」なんて不安になったりしますよ。 それが言葉となって「こんな私でいいの」発言になったのでは。 あなたがそれだけ彼女にとって魅力的な人だってことなんじゃないでしょうかね。 ちなみにもしも「こんな私でいいの」に酔っているような彼女ならば、1度突き放してみてもいいとは思いますがね。 謙虚な方の彼女を応援します。 1 No. 4 impressa 回答日時: 2006/09/28 20:12 見方の一つですが、自分が低レベルだと言うだけでなく、そんな彼女を許容するあなたも遠まわしに馬鹿にされていると見ることもできます。 また、実際自分が低レベルだと思っていなさそうなのにそういうことを言っていると感じたのでは? この台詞はドラマや小説だけで通用する「お約束」の一つです。 実際の生活においては、あなたのように不快に思う人は結構多いと思いますよ。 私も彼氏に言われて、「彼=暗い人」というイメージができてしまいました。 0 1、「あなた妥協してるんじゃないの?」に聞こえる。 2、「こんな私を好きになるなんて、あなた人を見る目が無いんじゃないの?」に聞こえる。 3、「もっといい女性はたくさんいるのに、あなた根っからの貧乏性なの?」に聞こえる。 No. 2 82buri29 回答日時: 2006/09/28 20:11 こんばんわ。 私も女ですが、ちょっとムカッときました(^-^; 言葉自体は自分を卑下しているのに、目をキラキラさせて、そのシチュエーションに酔っているかのような感じだったのでは? その通りなら、私がムカッとくるシチュエーションそのものです。 ドラマの主人公にでもなったような気分が感じられて、ムカッとしてしまうのかも。 でも、あなたが、彼女がいいと言っているのに、それを疑っているような、聞き返しをしているので、それが気に障るのかもしれませんねぇ。 俺の言葉を疑うのか。と。 でも、『もちろんさぁ!』と返事をしてあげるあなたはすばらしい!と思いました*:.☆(´∀`人) No.
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まず注意を引かれるのは、情を示す部分と記述の内容の順番が、前の部分とは逆転していること。 以前は、捨てるのは忍びないという気持ちが先に言われ、次に抛ることができないという行動に言及された。 ここではその順番が逆転され、沁みるという動きが先になり、捨てられない気持ちが後に来る。 こうした順番の逆転は、単調さを避け、変化する部分により多くの注意を引くのに役立つ。 さらに興味深いのは、「指先に沁み、心に沁みた」という表現。 心にしみるという表現はごく当たり前であり、感情は心で感じるものだと誰しもが思っている。 中也は、そこに「指先」を付け加える。 なぜか?
中原中也ベスト詩集『ホラホラ、これが僕の骨』公式サイト:詩集を読む
『在りし日の歌』より << 前の詩に戻る 次の詩を読む >> 朗 読 解 説 「月夜の浜辺」は1937年婦人雑誌『新女苑』2月号に発表された。中也は2月15日千葉の中村古峡療養所を退院し、同27日市ヶ谷から鎌倉の寿福寺境内に転居した。 この詩はいつ書かれたかは分らない。ただこの海岸は鎌倉の由比ガ浜海岸ではないだろうか。精神が完全には癒えていない中也は、一人夜の浜辺を散歩している。月の光が彼の背と浜辺を照らしていて、小さな貝のボタンを光らせたのだ。詩人はそれを拾って着物のたもとに入れた。愛児文也が生きていた時上野の博覧会で乗った飛行機から眺めた橙光が、やはり貝ボタンの様に光っていたのを思い出したからである。在りし日の文也を偲んで、中也はこの1個の貝ボタンを捨てることができなかった。 「月に向ってそれは 抛 ほう れず 浪に向ってそれは抛れず」と。 ご感想 モンゴルとインドのハーフっsrst5 さん 2021/03/08 10:10:32 4え656dfy6xっymhktろ@jむ 感想を書き込む お名前(ペンネーム可) メール(ページには表示されません。省略可) ご感想
月夜の浜辺 (中原中也)
2月 22, 2020 11月 15, 2020 どこで知ったのか・・・恐らく義務教育の国語の教科書からだったと思うが、中原中也の「月夜の浜辺」という詩が好きだ。ふと思い出したので、以下に引用する。 月夜の浜辺 月夜の晩に、ボタンが一つ 波打際に、落ちてゐた。 それを拾つて、役立てようと 僕は思つたわけでもないが なぜだかそれを捨てるに忍びず 僕はそれを、袂(たもと)に入れた。 月夜の晩に、ボタンが一つ 波打際に、落ちてゐた。 それを拾つて、役立てようと 僕は思つたわけでもないが 月に向つてそれは抛(はふ)れず 浪に向つてそれは抛れず 僕はそれを、袂に入れた。 月夜の晩に、拾つたボタンは 指先に沁(し)み、心に沁みた。 月夜の晩に、拾つたボタンは どうしてそれが、捨てられようか? 出典:青空文庫 個人的に大好きです。韻もリズリカルだからそれだけで好きなのですが、読んでいるとスッと目の前に静かで穏やかな夜の海が現れます。周りには誰もいない。月明かりだけが自分を見ているような。ちょっと物悲しいんだけど、心が穏やかに落ちきます。 浜辺に打ち上げられる繋がりで思い出されるのは、唱歌『椰子の実』。 作詞は島崎藤村なんですね。 この詩は1898年(明治31年)の夏、1ヶ月半ほど 伊良湖岬 に滞在した 柳田國男 が浜に流れ着いた 椰子の実 の話を藤村に語り、藤村がその話を元に創作したものである。 出典:WikiPedia 柳田國男は日本の民俗学者・官僚ですね。大学時代に般教か何かで学びましたけど、忘れた。。。 歌詞『椰子の実』 名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ 故郷の岸を 離れて 汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき) 旧(もと)の木は 生いや茂れる 枝はなお 影をやなせる われもまた 渚(なぎさ)を枕 孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ 実をとりて 胸にあつれば 新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい) 海の日の 沈むを見れば 激(たぎ)り落つ 異郷の涙 思いやる 八重の汐々(しおじお) いずれの日にか 国に帰らん 中原中也とは? 代々開業医である名家の長男として生まれ、跡取りとして医者になることを期待され、小学校時代は学業成績もよく神童とも呼ばれたが、8歳の時、弟がかぜにより病死したことで文学に目覚めた。中也は30歳の若さで死去したが、生涯で350篇以上の詩を残した。 出典:WikiPedia 30歳の若さで亡くなったんですね。。。 実はこの「月夜の浜辺」しか知らないのですが、他のも読んでみたいな。 恐らく、中原中也と言えば、「汚れっちまった悲しみに」ですよね。 汚れつちまつた悲しみに…… 汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる 汚れつちまつた悲しみは たとへば狐の革裘(かはごろも) 汚れつちまつた悲しみは 小雪のかかつてちぢこまる 汚れつちまつた悲しみは なにのぞむなくねがふなく 汚れつちまつた悲しみは 倦怠(けだい)のうちに死を夢む 汚れつちまつた悲しみに いたいたしくも怖気(おぢけ)づき 汚れつちまつた悲しみに なすところもなく日は暮れる…… 出典:青空文庫
中原中也の詩「月夜の浜辺」の心情は?~鑑賞と解説~ | まほろばことば
ささやかであっても、どうしても捨てられない物に、出合ったことはありますか? なぜ、どのようにそれが宝物なのか、上手くは説明できないけれど、それを見つめるだけで心があふれるような…… 詩人・中原中也 は、そんな言葉にならないような心情さえも、素手ですくい上げて、ありのまま露わにしようとしました。この世でそれを貫くことは、きわめて稀有なことです。 これから中原中也の、 「月夜の浜辺」 という詩を紹介いたしますね。 月夜の浜辺 月夜の晩に、ボタンが一つ 波打際 なみうちぎわ に、落ちていた。 それを拾って、役立てようと 僕は思ったわけでもないが なぜだかそれを捨てるに 忍 しの びず 僕はそれを、 袂 たもと に入れた。 月夜の晩に、ボタンが一つ 波打際に、落ちていた。 それを拾って、役立てようと 僕は思ったわけでもないが 月に向ってそれは 抛 ほう れず 浪 なみ に向ってそれは抛れず 僕はそれを、袂に入れた。 月夜の晩に、拾ったボタンは 指先に 沁 し み、心に沁みた。 月夜の晩に、拾ったボタンは どうしてそれが、捨てられようか? 中原中也「月夜の浜辺」の解釈 「月夜の浜辺」 。まずは題からして詩的ですね。 「月夜」という天と、「浜辺」という地。天地の悠大な情景から見れば、中原中也という人はささやなかな存在です。 そんな中也が、月夜と浜辺のはざまで流離っていたときに、同じくささやかな「ボタン」が波打ち際に転がっているのを見つけます。 ボタンはかつて、洋服などの布地をつなぎ合わせるのに、役に立っていたかもしれません。ところが、布地そのものからこぼれ落ちてしまったのですね。 もう何もつなぎ合わせることがない、そもそも何物にも繋がっていない、ひとつきりのボタンです。 中也はそのボタンを手にしたとき、何を感じ取ったのでしょう。 他人から見れば、そのボタンはもう役に立たないボタンかもしれません。ところが中也から見れば、役に立つか立たないかということ以上に、存在そのものに惹かれる何かがあったに違いありません。 ボタンを月に放つことも、浪に放つこともせず、中也はそっと袂に入れます。 ささやかで、寂しくて、孤独なもの同志の、心の交流をここに感じることができます。 でも本当は、ありきたりの単語では、この心情を解き明かすことは出来ないのでしょうね。 言葉には決してできないような、夜空よりも海よりも深い思いが、この詩の裏に息づいていそうです。 亡き我が子・文也に捧げる詩?
海をテーマにお届けしたきた、 今月の「リーディングワールド ~朗読の世界へようこそ~」 ラストの今日は、この詩をお届け。 【月夜の浜辺 / 中原中也】 月夜の晩に、ボタンが一つ 波打際(なみうちぎわ)に、落ちていた。 それを拾って、役立てようと 僕は思ったわけでもないが なぜだかそれを捨てるに忍びず 僕はそれを、袂(たもと)に入れた。 月夜の晩に、ボタンが一つ 波打際に、落ちていた。 それを拾って、役立てようと 僕は思ったわけでもないが 月に向ってそれは抛(ほう)れず 浪に向ってそれは抛れず 僕はそれを、袂に入れた。 月夜の晩に、拾ったボタンは 指先に沁(し)み、心に沁みた。 月夜の晩に、拾ったボタンは どうしてそれが、捨てられようか?