菅内閣を降ろす合理的根拠とは? | 倉山満公式サイト
日本では、こんなデモ活動や抗議活動はない!と思ってしまいがちですが、実は1900年代初頭には日本、しかも東京ですさまじい抗議運動が起こっていました。それが、「日比谷焼き討ち事件」と呼ばれる事件です。 日比谷焼き討ち事件とは、いったいどんな事件で、何がきっかけだったのでしょうか?
民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代 | 書籍詳細 | Book Bang -ブックバン-
こんにちは! 西宮北口校で教務をしている池上です! 今日は日本史についての話題です。 学習指導要領の改訂により、 2022年度からは日本史Bと世界史Bが廃止され、来年の高校1年生からは 日本史と世界史を合体させた 「歴史総合」という必修の新科目と「日本史探求」「世界史探求」という選択科目で歴史を学ぶことに なります(歴史総合については コチラの記事 が詳しいです)。 もちろん、 いま高校に通っている皆さんは日本史Bや世界史Bで受験する ことになるのですが、歴史科目改革の余波で当分の間は日本史の出題傾向の変化が予測されます。 つまり 、 日 本史Bの範囲内にある、日本と世界が交流した出来事が狙われる可能性が高くなりそう なのです。 今日はそういった日本史の最新トレンドについてお話していこうと思います♪ 歴史総合を教えられる先生がいない!?
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日比谷焼き討ち事件が起こった理由は ・ロシア外交が弱腰だったから。 ・増税に耐えていたのにポーツマス条約で賠償金を獲得できなかったから。 (日露戦争の戦費が非常に多くかかり、国の借金に依存している。 →国の財政的にも借金が増えているので、収入を増やさなければならないため、国民の租税負担が増えた。) です。 だから、増税したのに賠償金が得られなかったことに不満があったんだと思います。 間違えてたらごめんなさい🙇
「日比谷焼打ち事件」を機に大正デモクラシーが始まったという説は正しいのでしょうか(写真はイメージです) Photo:PIXTA 中学・高校の教科書に必ず掲載されている「日比谷焼打ち事件」。この事件を機に大正デモクラシーが始まったというのが、いわば常識になっている。しかし、実は「大正デモクラシー」という言葉は、戦後になって造られた歴史用語である。当時の人々が「大正デモクラシーを始めるんだ!」と意図して焼打ちをしたわけではないのだ。「日比谷焼打ち事件」は、日本が軍国主義に至る流れを語る上で、極めて大きなターニングポイントである。どういう意味を持っているのかを、歴史研究家・河合敦さんの新刊 『教科書の常識がくつがえる! 最新の日本史』( 青春出版社)から抜粋して紹介する。 国民が強いられた日露戦争への協力と生活苦 日比谷焼打ち事件は、日露戦争の講和条件の不満に端を発した大暴動である。政府は大国ロシアを相手とする大戦に勝利するために、戦争勃発早々、国家財政強化のために大規模な増税をおこなった。 戦争勃発2カ月後の明治37年(1904)4月には、第一次非常特別税を創設して地租を大幅に増やし、営業税や消費税を引き上げ、いくつもの新税を導入している。翌年1月にも非常特別税法を改正してさらなる増税をおこない、その総計は実に1億4000万円に達した。 さらに政府は国内外からの公債で17億円にのぼる戦費を調達し、辛勝というかたちで一年7カ月にわたる戦いに決着をつけた。実際に要した費用は15億2000万円だったが、これは、日清戦争の7倍で国家予算の五年分にあたる額だった。