隈研吾さんインタビュー 新国立「空調機に頼らず」「日本建築の特徴」 | Japan Forward
Flip to back Flip to front Listen Playing... Paused You are listening to a sample of the Audible audio edition. Learn more Something went wrong. Please try your request again later. Publication date May 20, 2016 Dimensions 7. 4 x 5. 04 x 0. 63 inches What other items do customers buy after viewing this item? 隈研吾展 | 東京国立近代美術館. Paperback Bunko Paperback Bunko Paperback Shinsho 隈研吾 Tankobon Hardcover Paperback Shinsho 隈 研吾 Tankobon Softcover Customers who viewed this item also viewed Paperback Bunko Paperback Bunko Paperback Shinsho 隈研吾 Tankobon Hardcover 隈 研吾 Tankobon Softcover Tankobon Hardcover Product description 内容(「BOOK」データベースより) "火中の栗"新国立プロジェクトを射止めた建築家の仕事の哲学とは? コンクリートから木へ―世界で活躍する建築家の集大成! 著者について 隈 研吾(くま・けんご) 1954年、横浜市生まれ。1979年、東京大学工学部建築学科大学院修了。 米コロンビア大学客員研究員を経て、隈研吾建築都市設計事務所主宰。2009年より東京大学教授。 1997年「森舞台/登米町伝統芸能伝承館」で日本建築学会賞受賞。同年「水/ガラス」でアメリカ建築家協会ベネディクタス賞受賞。 2010年「根津美術館」で毎日芸術賞受賞。2011年「梼原・木橋ミュージアム」で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。 著書に『負ける建築』『つなぐ建築』『建築家、走る』『僕の場所』、清野由美との共著に『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論TOKYO』などがある。 Enter your mobile number or email address below and we'll send you a link to download the free Kindle Reading App.
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人がいるのかな? "って一瞬思います。誰か座っているような印象の配色は、結果的にいい取り組みというか、いい仕掛けだと思います。一方で、もともとこの国立競技場は、世界的建築家、故・ザハ・ハディド氏のデザインから始まりました。ただ、(国際コンペでザハ氏の設計案を採用したものの、総工費が膨らみすぎるという理由で)白紙撤回されました。結果的に、現在のオリンピックの大会予算は膨らむ一方ですし、新しい国立競技場をせっかく建てたからには成功してほしいです。 (TOKYO FM「ONE MORNING」7月12日(月)放送より) 【関連記事】 「東京五輪」1都3県で無観客決定…この結果、あなたはどう思いましたか? アンケート結果を発表 4回目の「緊急事態宣言」…あなたは何を思いましたか? 番組に寄せられた国民の声 「東京五輪のチケット」持ってる?"YES"と答えた人の割合は…? ゲッターズ飯田「否定癖がついている人は己を苦しめている!? 猫のゴロゴロ目線で再発見する東京の今、「隈研吾展」が国立近代美術館で開催 | 日経クロステック(xTECH). 」 江原啓之 "幸せ"に言及「本当の幸せとは何も恐れることがないこと」
TOP 五輪間近!新設スタジアム群に来た、見た、描いた 「幻のザハ案」があって実現した高コスパの隈流「国立競技場」 2021. 6. 15 件のコメント 印刷? クリップ クリップしました 五輪は「スポーツの祭典」であると同時に「建築の祭典」でもある──。2013年9月にオリンピック・パラリンピックの東京開催が決まったときには、そんな書き出しで熱い開幕リポートが書けると信じていた。過去を振り返れば、五輪によって歴史に刻まれた名建築は実に多いからだ。 開閉会式の会場となる国立競技場。これはこれで建築の歴史に残るのか?
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タモリ とにかく面白くて。基礎からセメントの配合、壁土までぜんぶじっと。 隈 工事現場を見守る小学3年生(笑)。 タモリ ええ。毎日見ていましたね。建ったら建築主が引っ越してくるんだけれど、俺の方がよほど自分の家だと感じていました。「何だ、この人ら俺のうちに図々しい」と思って(笑)。 隈 その後も建築の工事には興味が? タモリ ええ、興味がありますね。27か28の会社員時代に、友達がどういうわけか、無謀にも建築会社を始めたんです。適当な言い訳をしてその会社に顔を出して、面白くて午後からはずっと現場に通っていた時期がありました。 隈 やっぱりじっと見ていた。 タモリ ちょうど行ったら左官屋が風呂場をつくっていたんです。「おい、さくいセメントをつくってくれ」と言われたからだいたいの勘でセメントをつくったんです。左官屋が「これ、よくできているぞ。キャリアはどれぐらいあるの」と聞くから、「初めてつくりました」「へえっ。君、左官屋にならないか」って、スカウトされたこともあったんですよ。 隈 えーっ! それは違う人生がありましたね。左官仕事はできる人できない人がはっきりしていて、僕はできない(笑)。 タモリ それもやっぱり小学校のときに見ていたからです。セメントと砂と水の割合を、土台をつくるときはこれぐらいだなと、だいたい覚えていたんです。 隈 それは感性が鋭い。 なんと、左官にスカウトされた歴ありのタモリさん[撮影・広瀬達郎] タモリ たぶんできるんじゃないかなと思って具合を見てやってみたら意外にできた。そうしたらスカウトされてました。 隈 自分ちの改装の手伝いはやったんですが、塗装とか床の板を張るとか、僕はそれくらいでした。左官のタモリさんとお仕事をご一緒してみたいなあ(笑)。 タモリ 本の中に、高知の田舎、檮原の左官の方と、壁に藁をどれぐらい入れるかの話があったでしょう。うらやましく読みました(笑)。 隈 田舎の現場だと職人と腹を割って話せて、創造的なんです。何か無理を言われたのを「やってやっか」となるのか、職人にとっては楽しそうでもあります。 そういえば、ご自宅を建てられるときはどうされたんですか? 新国立競技場がダサい?便器やザハがかっこいいとの声が!経費削減でデザイン変更…?. タモリ 30年前の話なんですが、建てるときに、建築家の方に紹介で会ったんです。家の設計をお願いしますって言ったら、何をなさっているんですか?
雲の上の図書館 / YURURIゆすはら 2018 ©Kawasumi・Kobayashi Kenji Photograph Office 米TIME誌にて「2019年世界で訪れるべき最も素晴らしい場所100選」に選ばれた《V&Aダンディー》や《国立競技場》の設計に参画するなど、現代日本を代表する建築家のひとりである隈研吾(1954-)。 本展では、世界各国に点在する隈作品の中から公共性の高い68件の建築を、隈が考える5原則「孔」「粒子」「斜め」「やわらかい」「時間」に分類し、建築模型や写真やモックアップ(部分の原寸模型)により紹介。その他、映像作品、前庭に展示されるトレーラーハウスを合わせ、合計74件で隈の世界を紹介します。 章解説や作品解説はすべて隈本人によるもの。また、瀧本幹也や藤井光など第一線で活躍するアーティストによる映像作品や、隈建築をさまざまな観点から見ていただく空間のほか、360度VRなどの体感要素、さらに、ネコの視点から都市での生活を見直すリサーチプロジェクト《東京計画 2020 ニャンニャン ネコちゃん建築の 5656 ゴロゴロ 原則》(Takramとの協働)も発表します。コロナ禍というきわめて難しい時代の中で開催される本展が、新しい公共性や未来の都市のあり方について考える機会となれば幸いです。 隈研吾プロフィール Photo ©J. 国立競技場 隈研吾. C. Carbonne 1954年生。東京大学建築学科大学院修了。コロンビア大学客員研究員を経て、1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。2009年より2020年3月まで東京大学教授。現在、東京大学特別教授・名誉教授。1964年東京オリンピック時に見た丹下健三の国立屋内総合競技場に衝撃を受け、幼少期より建築家を志す。その土地の環境、文化に溶け込む建築を目指し、ヒューマンスケールのやさしく、やわらかなデザインを提案。また、コンクリートや鉄に代わる新しい素材の探求を通じて、工業化社会の後の建築のあり方を追求している。これまで20か国を超す国々で建築を設計し、日本建築学会賞、毎日芸術賞、芸術選奨文部科学大臣賞、国際木の建築賞(フィンランド)、国際石の建築賞(イタリア)等、受賞多数。 展覧会の見どころ 1. 「人が集まる場所」のための隈独自の方法論を、5原則の形で抽出 第1会場 本展では、隈自身が選んだ公共性が高い建築68件を、時系列ではなく、「孔」「粒子」「斜め」「やわらかい」「時間」という5原則に分類して紹介します。 2.
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「木を使うことで予算が増えてしまったら、どうしようもありません。今回の設計では、外壁に杉、屋根を支える構造に唐松を使っています。どちらも国産で、手に入りやすく、ゆえに価格も安い。海外の木材を使うと、輸送時に大量の二酸化炭素が発生しますが、国産材ならそうした問題も起こりません。木材の加工技術も町の小さな工場で普通に使われているもので、特別な設備投資はいりません。そのような『地味で小さな技術』の集積が、8万人収容のスタジアムになる。そんな壮大な挑戦に心惹かれています」 ——五輪のメインスタジアムには、モニュメント性も必要ではないですか。 「巨大なモニュメント建築という、古臭い考えではなく、神宮外苑の杜(もり)の一部として、競技場も人々の記憶に残っていく、というあり方がいいと考えています。新国立競技場の敷地では、高度成長期に埋め立てられた渋谷川を、もう一度地表に流すことも計画しています。建物の形がどうだ、ということ以上に、周辺の環境が市民に開かれ、持続性を持って次代につながっていくことが大切だと思い、そこにも力に注いでいます」 3階層に変更された客席。最初の案にあった2階層の客席よりも、コンコースに移動するために上り降りしなければならない階段の段数がかなり減っている。画像:大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所JV作成/JSC提供 インタビュー・文=清野 由美 撮影=鈴木 愛子
木の技術は、すごく進歩した。最先端の処理技術とか、塗装の技術とか、ちょうど今だからできた。10年前だったら無理だと思う。メインの構造部分は主に鉄骨で、人が見上げた時に一番目に入る大屋根のトラス部分に木を使った。そういう木の使い方は、競技場では世界にない気がする。欧米は、人間の目線から考えるのではなくて、全体を大きなフレームで組み立て、俯瞰(ふかん)的に見ている。僕ら日本人は地上の目から、素材をとらえている。地面を歩きながら、いろいろ見上げながら見えてくるのが、日本建築の特徴だ。 新国立競技場の最初のデザイン案はザハ・ハディドさんによるものだったが、総工費の膨張などで白紙撤回になった ザハさんには、設計コンペで何度も負けている。ザハさんの案は模型などで見ると格好いいが、体験してくれれば僕の方がいいと、勝手にライバル視していた。ある意味でザハさんの建築が形で勝負する時代の象徴だとすると、私の方は体験で勝負する時代の建築。形で勝負する次の時代の建築をつくりたかった。ザハさんに対して自分の思いを正直に形にしたいと思っていた。自分の立ち位置を確認する上でザハさんはありがたい存在だった。 設計におけるモチベーションは? 僕は10歳の時に、本当に日常が全く変わるような、五輪の前と後で全く違う状況を体験した。五輪が社会に果たす役割の大きさを実感できた。何か挑戦すれば、それなりに報われる。それが五輪をきっかけに生まれる。日常とはまた別の時間が流れるから、新しいことに挑戦すれば、みんなが喜んでくれる。 建築家の原点は 僕は1964年の東京五輪が開催されたときに、丹下健三さんが設計した代々木競技場を見て感動して建築家を志した。世界のどの建築よりも格好よく、日本人もすごいなという自信が持てた。特別な時間が流れ、特別な時間を体験した。だから挑戦をしようと。木を使うのはある意味、僕にとって挑戦だった。五輪だからそれができるし、未来を提案すれば、ちゃんと評価されるものと感じていた。 国立競技場をどう世界に発信していくか 日本は五輪がなくても注目が集まっている。今の環境保護の時代に、日本人独特の自然に対する感性が期待されている。国立競技場を通じて世界に発信すれば、今まで以上に日本のことに注目が集まる。日本にとってもビッグチャンスだ。普段は建築に関心がない人にも、日本は木を使ってこんな建築がつくれるんだと興味を持ってもらい、日本は自然に優しい文化だというのを世界に知ってもらう、いいきっかけになる。 大会後の使われ方は?