ラ パシオン サッカー 監督 ブログ
?凄い大雨ですけど?」こう返事が返ってきた。 「あるよ!でもスガ(当時の呼び名)は家が遠いから無理しなくていいよ!」と。 そして 「わかりました。お気遣い有難うございます。それでは今日はお休みをさせて頂きます。」 と返事をして電話を切った。 コーチは優しいなーと思いながら、試合に出ていない自分が練習に行かないことに対して、多少モヤモヤした気持ちもあった。 そして同時に、自分の休みを正当化すべく、ある同期にメールしてみた。 この同期は片道なんと2時間近くも掛けて通っていた。 俺「今日練習どうする?」 彼はこう返した。 「行くよ!」 ん?
- U-15 福岡支部リーグ・前期 第1-2節 vs ラパシオン2nd、ホーリーグラウンド戦 | レアッシ福岡フットボールクラブ
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U-15 福岡支部リーグ・前期 第1-2節 Vs ラパシオン2Nd、ホーリーグラウンド戦 | レアッシ福岡フットボールクラブ
寄稿者のプロフィール レアッシ福岡フットボールクラブ メソッド部門コーディネーター・U-15ジュニアユーススタッフ 黒沼 遼 □スペインサッカー指導者ライセンス レベル2 □指導歴 2007-2012 清水エスパルス普及部 2009-2012 エスパルスSS駿東JY U-13監督 2012-2013 U. ANDREU Infanitil A (U14)アシスタントコーチ 2013-2014 U. ANDREU Cadete B (U15)アシスタントコーチ 2014-2015 C. Alevin A (U12) 監督 2015-2016 U. Joan Despi Alevin D (U12) 監督 U. Joan Despi Infanitil E (U14) 監督 2016-現在 レアッシ福岡FC
経験こそ宝
明後日、明々後日は阿蘇遠征!お前たち、俺が初めてお前たちを見だしたのも阿蘇遠征やったよ!たくさん試合してたくさん勉強。何点取られても良いからしっかりつなぐ。死に球は出さない。取り敢えず点が取れたの結果オーライはダメよ!練習の形で点を取ってくるのが1つ、後はサイドチェンジの際のチャンス! Mさ、Mやび、Sくや、Tいよう、分かるね? 自殺点区域からの失点は喰わないように、パスミス、球際の取り合いに負ける、負けた際に後ろにちゃんとフォローさえいればなんとかなるからね!Mもか、Rょう、Nぎ、Yうま、分かるね? Sょうた!1対1、大好きになったんじゃない?先週も最高のプレーが一度あったね!忘れんぞ! 3年生以下、バディカップ!今回の3年生は最後になるね!しっかり楽しんでくるように!
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1を取った者、弁護士になった者、社長をしている者、単身オーストラリアへ行っている者、GAFAで働く者など、凄い奴らがたくさんいる。 自分も刺激的な同期に負けることなく、これからも前に進み続けていくだけだ。 記事は以上です。 素晴らしい!! 上手くいかない時でも 次はどうすればいいかを考えている。 それを実行し、継続している。 "コツコツが勝つコツ" とはまさにこの事ではないだろうか。 努力したこと、頑張ったことが 報われることも報われないこともある。 成功も失敗も両方ある。 けど、それが経験となる。 実際僕もラパシオン時代で苦しんできたことが今の指導に大きく繋がっていると思う。 この記事を読んですぐに 選手達に見せたいので掲載していいですか?と連絡すると快くOKしてくれた。 本当にありがたいです🙌🏼 さあ、この記事を読んだ選手はどう思うか? 福岡少年サッカー応援団 - チームブログ / オエステ福岡U15 / クラブユース(U-15)選手権 -. コロナウイルスにより出来ることは限られるが、何か出来ることがあるはず! 自分もリーグが再開してしっかり審判できるように動かねば(−_−;)
何でこんな簡単なことも考えられないのか分からない。しかし、自分の子を思うあまり、父兄が勘違いを起こす場合…。なぜうちの子が出られないのか?なぜうちの子がそのポジションなのか?格下げか? なんて言ってくる父兄も多数。 この発言は、自分の子さえよければ良いというただのワガママ。 こんなことが日常的に。頻繁に。 若い僕に言わないで実家の母ちゃんに電話してきたり、影でコソコソやってみたり… それはそれは…。 指導は、1度辞めてます。本当に嫌になったんです。辞めて休んでいた時に、僕をずーっと説得してくる人が…。今の会社に入れてくれた方でした。実は僕が抜けて、今の監督が神奈川に転勤になったんです。このあとを引き継いだのがその方です(現Sかたコーチ達の指導者)。その方は1年僕を説得しにきましたね。会社にまで。 「Aチームを見てとまでは言わない。ちびっこ達だけでもいいから…。」 これを誘い文句に1年ですよ…。 やるからには中途半端なんかあり得ない。この性格を知っていたためか、そんな言い方になったんでしょう。1年後に戻って当時のBチームを担当(現LAPASIONのJr. ユース若コーチ、Oおくぼコーチの息子達)。 4月の総会で、「卒業するまでは面倒見ます…トホホ…。」っと言いましたね。 それからまた3年。この年代が卒業する間際にまた問題勃発。集大成である九州大会前に崩壊、分裂。この時は、指導者側。問題となったのが、皆さんが存じているかどうか知りませんが、那珂川SSC、Jr. 経験こそ宝. ユースに上がる上がらないの問題+α。僕はその代で退くことが3年前から決まってましたので、その時の選手と父兄は、「そこにKがいないなら中学に上がる際はよそのチームに行きたい…。」 けれど…。 あんまり言いたくないけど、中学までは面倒見れないし、ましてや中学なんてやったことないし、簡単じゃないし、サッカー人生左右しすぎるし…。なんていって、するつもりもサラサラなかったですがね…。 とある事件から崩壊して、彼らを守るにはそれをきっかけに辞めさせるのが1番。 今?今このタイミングで? 来週には九州大会始まるのに?3年間の成果をお父さんお母さんに見せるところがすぐそこにあるのに? そこだけが、僕が後悔しているただ1つの事です。数年後、20歳になった彼らが、親に僕の電話番号を聞いて連絡…。「ご飯お願いします!」と。嬉しかったですね。10人ぐらいいたのかな?嫁ハンに言うて5万ぐらい握りしめて飯に連れてきましたね。 そして謝りましたね。20才の教え子達に。そして言われましたね。 「いや、誰も何にも思ってません!むしろ感謝しかありません!」 教科書通りの答えに、泣きそうになったのを覚えています。 因みに、辞めさせた当時、あと少しで中学生と言う選手達をJr.