レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯と人生|万能の天才が遺したもの | 世界雑学ノート – 被評価者 とは
さて、ダヴィンチはどのような人生を送ったのでしょうか? その人生を辿っていきたいと思いますが、ダ・ヴィンチについては、拙著「論理的美術鑑賞」で「ストーリー分析」を行い、詳しく取り上げていますので、是非そちらをご覧いただけたらと思います。 書籍「論理的美術鑑賞」(翔泳社)を紹介! レオナルド・ダ・ヴィンチ – 世界の歴史まっぷ. また、ルネサンスがどのように、なぜ生まれたのかという時代背景については以下の記事で解説しているので、よろしければご覧ください。 従って、今回はいつもとは違った観点から彼の人生をとらえていきたいと思います。 すなわち、15点の現存する「作品」の軌跡と共に、人生を辿っていきたいと思います。 1. 受胎告知 1472年 – 1475年頃、油彩とテンペラ、98 cm × 217 cm 、ウフィツィ美術館 ダ・ヴィンチと、師匠であるヴェロッキオとの共作ですが、大部分をダ・ヴィンチが描いたとされ、彼の名前が冠された、現存する最初の作品。 ●時期について ダ・ヴィンチは、1466年14歳でヴェロッキオに弟子入りします。この師匠がとても優れた人で、フィレンツェでも有数の芸術家として名を馳せていました。その後、20歳の時から制作されたのがこの受胎告知です。 ダ・ヴィンチのデビュー作と言われています。 ●作品について 「受胎告知」は、キリスト教の新約聖書で書かれているエピソードで、数多くのアーティストによって繰り返し描かれてきたテーマです。 ・左側に描かれた翼を持つ者が天使ガブリエル、右側に描かれた女性が聖母マリアです。 ・ガブリエルが、処女マリアに妊娠を告げています。そのお腹の子は言わずと知れた、「キリスト」です。 ・ガブリエルが左に手にしているのが、「白百合」です。これは、「純潔」や「フィレンツェ」を現しています。 ・マリアは「赤」と「青」がおきまりの衣装です。青は空の色を現し「純潔さ」「神性」などを現し、赤は「情熱」「愛」といった意味を現しています。 2. キリストの洗礼 『キリストの洗礼』、1472年 – 1475年、177 × 151 cm、ウフィツィ美術館 ダ・ヴィンチと、師匠であるヴェロッキオとの共作です。 当時主流だったテンペラを用いて制作され、その上から、当時はまだ新しい技術だった油彩で加筆された作品です。 ダ・ヴィンチが 担当したのは、キリストのローブを捧げ持つ幼い天使や風景、岩、キリストの一部とされています。 ダ・ヴィンチがこの絵を描いた際に、ヴェロッキオは、その技術の高さに驚き、この出来事以降、ヴェロッキオ自身は、絵を描かなくなったという逸話が残っています。 このヴェロッキオの工房は、ボッティチェリ、ギルランダイオ、ペルジーノといった優れた弟子たちが活躍しており切磋琢磨していました。 ダ・ヴィンチも当初からめきめきと才能を発揮していたのですが、実はこの後、長く不遇の時代を歩みます。 一説には、その「納期を守らない仕事の仕方」や「完璧を求めすぎる性格」などがわざわいして、なかなか評価が上がらなかったという事情があるようです。 ヴェロッキオという優れた師匠との出会いはこの上なく幸運でしたが、同時代の優れた弟子たちと比べて、ダ・ヴィンチの名声が確立されていくには少し時間がかかりました。 不朽の名作「最後の晩餐」を待たねばなりません。 3.
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レオナルド・ダ・ヴィンチ – 世界の歴史まっぷ
1476年 独立!ついに自分の工房を持つ! 個人からの依頼で宗教画を手掛ける日々。 レオナルドといえば、寡作(制作数が少ないこと)で有名ですが、 受けた仕事も途中で投げ出すことも多かったとか。 観察や実験をして、あれやこれやと考えたり研究したりするのが好きなので 実際に作るのはめんどくさいなーと感じていたのかも。 残念ながら、この「作品完成させません習慣」は彼の生涯ついてまわります。 また同性愛に関するスキャンダルが続いて、レオナルドの社会的信用は地に落ち、 パトロン(後援者)にも見放されてしまいます。フィレンツェでの生活、完全に行き詰まる…。 1481年頃 フィレンツェを出て、新天地ミラノへ フィレンツェに見切りをつけ、ミラノで新しいパトロン探し。 スフォルツァ家に自分を売り込ための自薦状のような手紙が残っていますが、その中身がスゴイ。 自分に対する自信の程がハンパない。 ミラノでも自分の工房をもって、作品を生み出していく。 初仕事は『岩窟の聖母』 1489年 ルドヴィコ・スフォルツァからやっと制作依頼が! 『スフォルツァ騎馬像』の依頼を受けるが やっぱり完成しないで終わる \(^o^)/ 1490年 サライ弟子入り レオナルドの生涯で最も重要な人物、サライが工房に弟子入りしてきます。 サライというのはレオナルドがつけた愛称で、「小悪魔」という意味。 本名はジャコモ・カプロッティといって、弟子入りした当時は10歳の少年でした。 サライの風貌については「 とびきり優雅で魅力的 」「 特に巻き毛がレオナルドのお気に入り 」 という記述が残っているとのこと。 画家としてはパッとしないサライですが、レオナルドのモデルを務めながらも、 愛称サライの名に恥じず(?
レオナルド・ダ・ヴィンチとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】 | 歴史上の人物.Com
レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯と人生 を追っていきます。万能の天才と呼ばれた、ルネサンス期の芸術家であり科学者である歴史的偉人の記録を辿ってみましょう。 スポンサーリンク 14世紀から16世紀まで イタリア で続いたルネサンス時代の中でも、その頂点を極めた盛期ルネサンスにおいて、一人の天才が活躍していました。 その人物とは「万能の天才」と言われるレオナルド・ダ・ヴィンチ。 後世においては芸術家として知られるだけでなく、幅広い分野において深い知識を持った科学者としても知られる歴史的偉人です。 このレオナルド・ダ・ヴィンチの生涯とはどのようなものだったのか? 万能の天才「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の生涯と人生について、ダイジェストで見ていきたいと思います。 レオナルド・ダ・ヴィンチとは?
レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯・年表まとめ【作品や本名、死因も紹介】 - レキシル[Rekisiru]
レオナルド・ダ・ヴィンチ( A. D. 1452〜A.
カーネーションの聖母 1473年 – 1478年頃、62 × 47. 5 cm、アルテ・ピナコテーク 1478年頃、ダ・ヴィンチはヴェロッキオの工房から独立したとされていますが、それよりも少し前の作品とされています。 ・『受胎告知』と同様に、モチーフは聖母マリアで、赤と青の洋服がそれを現しています。 ・カーネーションを手にしていますが、この意味は「深い愛情」です。神の子であるキリストへの母の深い愛情を表現しているのでしょう。 ・赤ん坊は、イエス・キリストです。心なしか表情に乏しく、人間味が無いような描き方になっています。 まだこのころは、人物を「物質的に」描いているように思います。ダ・ヴィンチといえど、まだその作風の「若さ」が残る時代の絵画です。 4. ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像 1476年 – 1478年頃、ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントンD. C) ジネーヴラ・デ・ベンチは、フィレンツェの貴族で、その美貌で知られた人物でした。 当時、女性の肖像画は、婚約か結婚をお祝いする際に描かれるのが通例だったようで、ジネーヴラの肖像画もこの機会に描かれたとされています。 ・ジネーヴラの表情は、ずいぶん固いですね。そして、実はまだ20歳前後の若い女性の姿を描いているそうです。なんともまぁ、非常に厳格な表情が描かれています。 ・そして、特に目立つのは、背後の「トゲトゲの樹木」です。この樹木が生い茂っていることによって、ジネーヴラの髪型の一部のようにも見えます。この「樹木」は、「女性の美徳」という意味を持っているそうです。このジネーヴラという女性を、「美徳の象徴」として描いているということでしょう。 ・現に、この作品の裏面には、「 VIRTVTEM FORMA DECORAT 」というラテン語が描かれており、意味は「美は徳を飾る」となります。「美も徳も兼ね備えた女性」ということを強く表現したかったのですね。 個人的には、能面の彼女の姿は、少し怖い感じがします。 あえて「人間味」を抑えて、「理想的な肖像としての絵画」を描いたのでしょうが、これまた人間が「物質的」に描かれている印象を受けます。 5. レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯・年表まとめ【作品や本名、死因も紹介】 - レキシル[Rekisiru]. ブノアの聖母 1479年 – 1480年頃、49. 5 cm × 33 cm、エルミタージュ美術館 ヴェロッキオの工房から独立した当初の作品とされています。 「カーネーションの聖母」と比較してみるとわかりますが、こちらのマリアは穏やかな表情が見て取れます。 また、キリストの姿も比較的「人間味」を増して、以前よりは親しみやすい姿となっています。 一方で、キリストは救世主であるため、気品を保たねばならないのでしょうね。その表情が良いバランスの上に成り立っています。 6.
「従業員エンゲージメント」 がマンガでわかる資料を無料プレゼント⇒ こちらから 4.人事考課制度の効果 人事考課制度では、上司が部下の業務に対する姿勢や成果などを考課表にまとめます。この考課表をもとにさまざまな人事処遇を決定するのですから、人事考課制度の効果は非常に大きいといえるでしょう。 具体的な人事考課制度の効果として、 評価者の人を見る目が養われる 評価者が被評価者間の個人差を認識できる 被評価者の勤労意欲を向上させる 被評価者の人材育成ニーズの把握 教育効果のチェック 評価者と被評価者とのコミュニケーションの促進 などがあり 多方面にさまざまな効果をもたらす のです。評価作業には、十分な時間をかけるとともに、評価者は面接やヒアリングなどを活用して丁寧な考察を行う必要があるでしょう。 社員のモチベーションUPにつながる! 被評価者のための評価面談の基礎知識 | 河合克彦のホームページ. 「従業員エンゲージメント」 がマンガでわかる資料を無料プレゼント⇒ こちらから 5.人事考課制度のつくり方とポイント 人事考課制度の設計には、5つのポイントがあります。それぞれについて、具体的に解説していきましょう。 What: 評価の対象(評価項目の定義とウェイト) How: 評価点の定め方や集計方法(評定尺度、評語) Who: 評価を行う人物(評定者の多層化と役割) When: 評価期間 Why: 評価結果の活用対象(評価結果の目的) ①What:評価の対象(評価項目の定義とウェイト) まず、人事考課制度を設計するに当たって、 何を考課対象にするのか 考課項目の定義とウェイトはどうするか 決めなければなりません。そもそも以前の日本では、年功序列制度が一般的であり、個人の能力の評価よりも勤続年数が優先されていました。 2019. 01. 11 【仕組みを解説】年功序列とは? 成果主義と何が違う?
被評価者のための評価面談の基礎知識 | 河合克彦のホームページ
考課面談に臨む際の心構えを理解する 2. 自分自身を客観的に評価するためのポイントを理解する… (続きを読む) MBO(被考課者)セミナー 被考課者としての目標管理制度・面談への対応力を高めるために 下村裕篤 しもむらひろあつ 株式会社フューチャー・ビジョン代表取締役 国際コーチ連盟プロフェッショナル認定コーチ 人材能力開発コンサルタント 人事コンサルティング会社の経営幹部として、創業期から株式上場に至るまでを経験。その後、コーチング&ファシリテーションで起業。経営幹部社員および管理職者を主な対象としたマンツーマン・コーチング、企業を対象とした教育研修・能力開発コンサルテーションなど豊富な実績を持つ。 *MBO(目標管理)とは、あらかじめ評価者(上司)と、被評価者との間で目標に関する合意を結び、達成度合いで評価する方式。 気持ちよく働くためには、考課者と被考課者の間に信頼関係を普段から築き、面談を… (続きを読む)
行動特性を把握するためヒアリングの実施 コンピテンシー評価モデルの設計が決定したら、さらに詳しく行動特性を把握するため、ハイパフォーマーと面談を行います。 この面談では、 「なぜ高い成績・実績を残すことができているのか?」といったところを知ることが最大のポイント となります。 そのため、ハイパフォーマーにヒアリングを行う際、事前準備として 「どのような成果を上げて、そのために何をしたのか?」 ということを明確にヒアリングできる状態にした上で、実施すると良いでしょう。 4. コンピテンシーの項目を作成 次にコンピテンシー評価モデルの項目を作成していきますが、前述のとおりコンピテンシーには決まったテンプレートがなく、職種や職務によってもそれぞれ異なります。 そのため、1からすべてを作成するのは非常に難しいため、評価項目を作成する際は 「コンピテンシー・ディクショナリー」 を活用しながら作成していくと良いでしょう。 このコンピテンシー・ディクショナリーは、アメリカでコンピテンシーを研究している「ライル・M. スペンサーとシグネ・M. スペンサー」が開発した分類法で、コンピテンシー・ディクショナリーには、下記のように「6領域」と「20項目」で分類された領域があります。 このように、6領域・20項目に分類されたコンピテンシー・ディクショナリーを参考にしつつ、それぞれ自社の要素を踏まえ、具体的な評価項目を作成します。 なお、コンピテンシー・ディクショナリーは、あくまでひとつの目安であり、職種や職務によってそれぞれ内容は異なります。 そのため、 コンピテンシー・ディクショナリーを用いて評価項目を作成する際は、自社の実態と項目内容が一致しているかがポイント となります。 コンピテンシーモデルや項目と実際の運用とでズレが生じているなどの場合は、今一度コンピテンシーの行動特性を検討し直すことも必要です。 5.