岡野 陽一 パチンコ の システム
▼ WPの本文 ▼ 18歳のとき、当時つき合っていたカノジョに誘われ、パチンコに。それが借金ロードの始まりだった。なくなれば借り、あれば使い。そんな生活を続け、気づけば1, 000万円以上の借金を抱える身となった。だが、当の本人は、これといって悪びれる様子もなく、むしろ面白おかしく借金生活を語る。借金をすることでお金の意味や人とのつき合い方を学んだという、この愛すべきクズ芸人にインタビュー。 岡野陽一さん COMEDIAN 1981年、福井県生まれ。プロダクション人力舎所属の芸人。京都産業大学外国語学部英米語学科中退。 2008年にお笑いコンビ「巨匠」結成。16年にコンビ解散後、ピン芸人に。「R-1ぐらんぷり2019」ファイナリスト。 現在『矢口真里の火曜The NIGHT』(ABEMA)、『ドランクドラゴンのバカ売れ研究所!』(BS12)にレギュラー出演するほか、『ヤングアニマル』(白泉社)、『クイック・ジャパン ウェブ』にてコラム連載中。 1万5000円を絶対に取り返したくて ――岡野さんといえば、ギャンブル好きとして有名です。ギャンブルでつくった借金が軽く1000万円を超えているそうですが、ハマったきっかけは何だったんですか? 僕、地元が福井県の敦賀市というところで、高校を出て、京都の大学に行ったんですけど、大学に行くまでの間がちょっとあるじゃないですか。その時期が本当にヒマで、当時カノジョがいたんですけど、カノジョから「パチンコ行ってみる?」と誘われて、それで初めてパチンコ屋に行ったんです。ワケもわからない状態でとにかくやってみて、たしか『海物語』だったのかな、あっという間に1万5000円がなくなったんですよね。 ――痛いですね。 その当時、時給650円のバイトをしていたんですよ。それで服とか買っていたのに、こんな理不尽に1万5000円失ったのが許せなくて。だって、650円だと23時間は働かないといけないんですよ。絶対に取り返してやると思って。それが始まりですね。 ――二度とやらないじゃないんですね。 そこで分かれるんでしょうね。ギャンブルなんてバカらしいと思う人と、取り返したいと思う人と。僕は後者で、いまだに取り返そうと思う旅が続いているわけです(笑) ――そこからパチンコ漬けの日々だったわけですか? カノジョは東京の大学で、僕は京都の大学だったから、誰も知り合いがいなくて。でも、パチンコはひとりでできるので、授業にも出ずにずっとパチンコ屋に行ってました。もう楽しくてしょうがなくて、4年間ほぼ休みなしで通ってましたね。結局、大学は単位ゼロで辞めちゃいました。 これ以上借りたら首吊らなあかんで 「負けるときは負ける。 人生と同じですよ」 ――軍資金はどうしていたんですか?
岡野陽一 : Crただいま速報
借金1200万円のクズ芸人・岡野陽一、デート中にパチンコをしたくて彼女をまく! | Rbb Today
岡野陽一が店長!? のホール、オカーデンで新台実戦! 前編 くず芸人・岡野陽一が作った新台を実戦! パチンコの本質に迫る問題作!? - YouTube
頼む! 我が家のガスを止めてくれ! 安倍さん! しかし、こうなった以上じたばたしても仕方ない。 僕達に今出来る事は家にいる事だけなのである。 こんな科学が発達した時代に、文字で見るとバカみたいだがこれしかないのだ。 ニュース見て、文句を言って退屈に暮らすのも自由だが、どうせだったら楽しい時間が長かった人生でありたい。 目標が出来ると、人間生活に張りが出ると聞いた事がある。僕は目標を立てる事にした。 自粛期間が明けた時に備えていっぱいネタ作ろうかな? 英語ペラペラになるのもいいな。この期間で国家資格取ったら凄いな……。 いろいろ考えた結果、僕は決めた。 よし! パチンコ台を作ろう! こうして僕の、家にあるものだけでパチンコ台を作る生活が始まったのであった。 ちなみに誰も信じてくれないが、僕は断じてパチンコ依存症ではない。 あれは体が勝手にパチンコ屋に行ってしまう病気だ。 僕は毎回「パチンコ屋に行くぞ!」という 強い意志を持ってパチンコ屋に行っている のだ。 コントの小道具の引き出しから