本の帯 とは | 函谷関の戦い キングダム
本の内側の部分 ・「本文」(ほんぶん) 本の中身のことで、紙を折りたたんで作った折丁(基本は16ページ)を束ね、糸でまくられるか、糊で固められてまとめられています。その束ねた折丁の背部分には、網目の布(寒冷紗)を貼って補強し、見返しで表紙に固定します。見返しを使いながら、背の部分が表紙に固定されていない本もあります(「フォローバック」)。丸背と角背があり、丸背は背が丸く湾曲しており、角背は背がフラットになっています。 ・「見返し」(みかえし) 表紙と本文を接着するために用いられる紙です。表紙に貼りつく側を「効き」(効き紙とも)、表紙にくっついていない側を「遊び」(遊び紙とも)と呼びます。 ・「のど」 「小口」から見て一番奥、本を綴じている側に一番近い部分のこと。読みにくい部分にあたり、ほとんどの本では余白部になっています。 ・「そで」 カバーや帯をかける時、表紙の内側に折り込む部分のことです。 ・「花布」(はなぎれ) 天地両側の背と本文の接着面を隠すように貼り付ける細い布です。端布(はなぎれ)、ヘドバンと呼ばれることもあり、装飾として使われています。もともとは糸を編んで丁寧に縫いつける、各パーツを補強するための部分でした。 ・「スピン」 紐の栞のことです。天側の本文と背の接着部分に紐の端が固定されています。 3. そのほかの部分 ・「本扉」(ほんとびら) 本の「中身」の最初のページです。ふつうは書名、著者名、出版社名を印刷します。本文を印刷する紙とは異なる紙を用いることもあります。 ・「中扉」(なかとびら) 本の内容がいくつかの部分に分かれている時、それらの区切りとして使われるページです。始まる章・短編の表題が記されます。目次の前に入れるものは「目次扉」と呼びます。 ・「注」(註) 本文につける説明文や、出典元の明記などのこと。注を入れる場所によって呼び名が変わることがあります。本文の上部に入るものは「頭注」、左右に入れるものは「側注」、下に入れるものは「脚注」、巻末に入れるのは「後注」、文章の途中に小さい文字で入れるものを「割注」、巻末にまとめたものを「後注」といいます。 ・「奥付」 本文が終わったあとの部分や巻末に設けられる、書誌に関する情報・事項が記されている部分。著者名、書名、出版社、定価などの情報に加えて、版の変更回数を示す「版」、初版・重版などの印刷回数を示す「刷」の情報もあります。 これらの部分を知ると、一冊の本が大変きめ細やかに作られていることが分かります。より詳しく知りたいかたは、装幀やブックデザインについての本もぜひ読んでみてくださいね。
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書籍には、ほぼ必ずと言っていいほど「帯」がついています。 読者からすると、本を読むときにかさばる厄介者で、購入後には捨ててしまうという方もいます。 いったいなぜ、本には帯がついているのでしょうか? 書籍との恋は0. 2秒で決まる 帯は隠れたキューピッド 「出版」をテーマとする書籍や雑誌では、広告宣伝としての意義を説いているものがほとんどです。 『出版辞典』(出版ニュース社、1971年)では「一説には、昭和初期の左翼出版物が、店頭の宣伝効果をねらって帯をつけたのが最初ともいわれる」と記述があります。 この記述は多くの文献で引用されており、現在最も有力視されている説といえます。 日本出版学会常任理事の宗武朝子氏は、雑誌『EDITOR』(1976年1月号)のなかで、帯の有無によって書籍が手に取られる割合は2, 3割異なるという旨の発言をしています。 では、帯はどのように「宣伝効果」を果たしているのでしょう。 一説によれば、ひとが書店で一冊の書籍を見る秒数の平均は、わずか0. “売れる本のPOP”第一人者が伝授する、伝わる言葉の選び方-日本財団ブログ「みんながみんなを支える社会」に向けて. 2秒といわれています。 書籍を購入していただくには、この0. 2秒で本の内容を読者に理解させ、興味を惹かなくてはなりません。 例えば帯でよく見る「重版」「○万部突破」という言葉は、「売れている書籍である」という印象づけに役立っています。 また著名人の名前を入れて「〇〇絶賛!」と書かれてあれば、ひとは「あの有名な人がすすめているなら、内容に間違いはないだろう」と思うわけです。 いずれの文言も、短い言葉で「良い本である」と思わせるために帯に書かれているということです。 もし皆さまがここに挙げたような理由で、書籍に0.
“売れる本のPop”第一人者が伝授する、伝わる言葉の選び方-日本財団ブログ「みんながみんなを支える社会」に向けて
『雷の季節の終わりに』 著者:恒川光太郎 「雷の季節にはよく人が消える。それはもう仕方がないんだ。」 「仕方がないで済ませられるか!」と、ついついツッコミを入れたくなるようなキャッチーな文章。でも何故雷の季節になると人が消えてしまうの?と知りたくなってしまいますよね。怖さと切なさと懐かしさと。圧倒的な描写力を誇る恒川さんの真骨頂を見事に表現したフレーズです。 『世界のトイレ』 著者:ロンリープラネット 「この地球には、絶景の数だけトイレがある」 なんだか上手いこと書いているようですが、これトイレのことですからね。不思議と感動さえ覚えてしまう見事なキャッチフレーズです。世界中の珍トイレを104個も集めたトイレ写真集。気になってきた人はいませんか?これも帯だからこそなせる業です! デザイナーの腕の見せどころ!この帯は捨てられない!
本を買うとついてくる"帯" 皆さんは捨てますか? それとも取っておきますか? 購入したらポイっと捨てられてしまうこともある本の帯。しかし、そこには 「この本を手に取ってもらいたい」 という想いが込められています。 有名人の推薦文や目を引くキャッチコピーなどなど…。店頭で思わず手に取りたくなるような情報が目白押し! 聞くところによると 「帯」だけで本の売り上げが倍増した例 もあるそうです。 アイデアとデザインだけで売り上げを左右するほどの影響を与えるなんて…めっちゃカッコよくないですか? そこで、我々はこう思いました。 素人でも本気を出したら、 ベストセラーを生み出す名"帯" を作り出せるのでは? 本を作るのは大変ですが、本の帯を作るのは僕たちにもできるはず! ということで今回は、 本の売り上げを爆アゲさせるオリジナル帯を作る会 をひらきました。 題して… 参加者は彩度の低い服しか着ていないこの5名! 目にやさしいな。 この企画の発案者。本の帯はそのままにしておく派。そして、本棚に入れる時にグシャッとなって発狂する派。 開いた本を伏せて床に置くやつを絶対に許さない男。本の帯はカバーの下に巻いておく派。 一日のほとんどを立ち読みに費やす男。ブックオフのことを本棚と呼んでいる。本の帯は折り返しのカバー裏に挟んでおく派。 辞書を鈍器とみなす男。本の帯は取っておいて、しおりの代わりに使う派。 絵が載っていない本は読まない。本の帯はさっさと捨てる派。 帯を作る元となる本はこちら! 漫画「ギャル医者あやっぺ」 オモコロライター 長イキアキヒコ が描く「黒ギャル×医者」のギャグ漫画。まんがライフオリジナルにて連載中! この度単行本が発売されるということなので、売り上げに貢献して恩を売りましょう。 実物も手に入れたので、試しに一回オリジナル帯を作ってみよう 本の帯って糸井重里から推薦文をもらえれば全クリじゃないの? あとはアニメ化とかドラマ化とかの情報がデカデカと載ってるイメージだな このコミックスは 表紙に4コマが載っている から、せっかくなのでそれを活かして…… こうです 本物じゃん 本屋でいろいろ見て回ったから。実在する帯を大いに参考にしました デザインを踏襲するだけでこんなに「っぽく」なるんですね 帯で4コマ目を隠しました。 「オチが気になるから買って帯を外してみようかな…」と思わせる作戦ね 効果的かもしれないけど、このハードルのあげ方は作者がかわいそう なんか分かんないけどVOWって感じがする いかにもありそうなデザインだけど… まあ、実際に手に取るかと言われたら微妙だよね よくできてはいるけど、ありふれたデザインだから周りに埋もれちゃうと思います そう!
ってそんなはず無いですよねw 王翦が本気で退却したと思ったオルドは、悠々と軍を進めます。 そして函谷関裏へ通じる断崖絶壁を前にします。 「山読み」の達人であるオルドの読みは完璧でした。 山岳族にとっては何でも無い断崖絶壁を、次々と登っていくオルド軍。 しかしここで思いもよらぬ事が起きます! 背後から無数の矢が放たれたのです! 放ったのは退却したはずの王翦軍 でした。 オルドは驚愕します。 それもそのはず。 オルドが把握している王翦軍は、今いる場所とは真逆に退却したはずだったのです。 何故今ここに王翦が? 実は王翦は、開戦前からこの断崖絶壁の前が戦場になると読んでいた為、予め伏兵を用意していた のです。 オルドは最初から完全に、王翦の想定していた通りに動いていただけだったのです。 主力8千人を失ったオルドは、再び姿を消した王翦軍の動きを捉える事が出来ずに、王翦の砦まで後退し、そのまま合従軍を終える事になる のです。 オルドを最初から最後まで手玉にとった王翦はさすがの一言でしたね! 【キングダム】函谷関を防衛できた秦軍 合従軍の武の象徴であった汗明を討ち取った事で、戦況は秦に大きく傾きました 。 函谷関突破が役目の魏の呉鳳明は、蒙武軍が来る前に函谷関を抜こうと、攻めを更に厚くします。 そんな時李牧の元に媧燐の伝者が媧燐からの伝言を伝えます。 「 勝利は目前。総司令様は函谷関をくぐる準備をされたし 」 今しがた汗明が討たれ、攻め手が減少したはずでした。 媧燐の伝言の意味は? 媧燐の精鋭兵は1万人いたはずでしたが、 いつの間にか5千人になっていた のです。 残りの5千人はどこへ? 媧燐の自由奔放な動きに目がいき、誰も気づきませんでした。 実は残りの5千人は既に函谷関裏に到着していた のです。 媧燐は人知れず、自軍を半分に分け函谷関裏へ向かわせていたのです。 函谷関の裏を取った媧燐軍は一気に攻め込み、城門を占拠します 。 完全に虚を突かれた秦軍は大混乱をきたします。 城門を占拠され、内側を塞いでいる巨岩を次々に取り除く媧燐軍。 もはやこれまで・・・誰もがそう思いました。 その時でした! 函谷関の戦い (紀元前241年) - Wikipedia. オルド軍と戦っていたはずの王翦が突如現れた のです! 占拠された城門を再び取り戻し、媧燐軍を殲滅するのです。 函谷関は陥落寸前で王翦に救われ、なんとか防衛に成功するのでした。 【キングダム】李牧は次なる作戦へ 合従軍の武の象徴である汗明が討たれ、その後の蒙武の追撃で楚軍そのものが大打撃を受け、媧燐の函谷関裏急襲も失敗に終わり、合従軍は窮地に立たされます。 函谷関を抜く事が極めて困難になってしまった合従軍は、 開戦時の位置までの後退を余儀なくされます 。 秦はほぼ確実に勝利を掴んだはずでした。 はずだったのです・・・ 合従軍が後退したその日の夜、李牧は人知れず本陣を離れます。 その3日後、王都咸陽に不思議な報告が届きます。 函谷関とは別方向の南道にある「華沙」という小都市が敵襲を受けた のです。 何故こんな所が?
函谷関の戦い (紀元前241年) - Wikipedia
龐煖と麃公 、強者同士の激しい一騎打ちが始まる。 麃公 は信に対して「咸陽に行け」「火を絶やすでないぞ」と告げる。 一騎打ちの末、麃公将軍は命を落とす。 咸陽の手前にある小城「蕞(サイ)」が最後の防衛拠点 咸陽に迫る李牧軍。 秦の大王・政は昌平君と話合った末、自ら咸陽の手間にある小城「蕞(サイ)」に出陣することに。 蕞に到着した飛信隊も政と合流する。しかし既にボロボロの飛信隊。少ない戦力でどのように戦うのか? 政は蕞(サイ)の一般人も兵士として登用し、最後の砦として戦う方針を決める。 一般人に檄をかけ、共に戦うことを宣言。大王自らの出撃に 蕞(サイ) の士気は一気に高まる。 蕞(サイ)攻防戦!李牧・龐煖 VS 政・信 一般人も合わせて、李牧軍と戦闘開始。 なんとか初日の危機を脱するが、急造の兵隊なので不安要素が多い。李牧は夜襲をかけるふりをするなど、精神的にも蕞を追い込んでいく。 一方の函谷関では、合奏軍は秦軍が蕞の援軍に行けないように牽制を続ける。 秦軍も函谷関を開けるわけにいかずに身動きが取れない硬直状態となっていた。 蕞(サイ)攻防戦2日目以降・疲弊が続く蕞(サイ)はどうなる?
凡戦が続き攻略が進まない鉄壁の函谷関。戦いも中盤の7日目に韓軍・成恢が動きます。韓軍が使うのは猛毒。毒矢だけでなく、毒の煙を発する「丹丸(たんがん)」を放つ。この煙を吸い込んでしまった秦の将軍・張唐は、徐々に体が毒に蝕まれて行くのだった。 合従軍15日目。合従軍の総攻撃が始まる あえて凡戦を続けて秦を疲弊させた合従軍。15日目に動きます。 最終決戦とばかりに全軍規模の突撃が始まります。 楚・媧燐 VS 秦・騰、蒙武、王賁 いよいよ楚の天才将軍・媧燐が登場。巨大な像の戦車を使うなど次々と驚くような策を繰り出します。 苦戦する秦軍だが、5千人将に抜擢された王賁と蒙恬が奮闘。蒙武は楚の総大将・汗明を目指す。 函谷関陥落か?再び迫る兵器軍 函谷関では魏・呉鳳明の兵器が再び投入されていた。井闌車(せいらんしゃ)だけでなく、函谷関の壁に巨大な床弩(しょうど)を打ち込み、その鎖を伝って兵が登りだす。毒で死期が近い張唐軍の持ち場から、ついに合従軍の兵が流れ込む! 桓騎の奇策発動!狙うは韓軍総大将・成恢 魏軍がかけた井闌車(せいらんしゃ)を逆手にとって地上に降り立った桓騎軍。毒など卑劣な手法を使うことが許せない張唐も桓騎に付いていく。 少数の部隊構成で敵軍に紛れ込み、張唐が韓軍総大将・成恢を討ち取ることに成功!しかし同時に張唐も毒によって息絶えるのだった。 王翦軍が撤退?オルド軍が砦を攻略か 山岳地帯から忽然と姿を消した王翦軍。難なく砦を攻略し、函谷関へのルートがある絶壁まで到着するが、それは王翦の罠だった。急襲によって燕の精鋭部隊は一気に壊滅状態へ。そしてまた姿を消す王翦軍。翻弄されたオルドは山中で身動きが取れない状態に。 楚・総大将 汗明 VS 秦 蒙武の一騎打ち 騰・蒙恬・王賁の活躍もあり、ついに蒙武が汗明の元にたどり着く。驚異的な打撃戦となり両者一歩も引かない展開に。 戦いの中で圧倒的な成長を遂げた蒙武が汗明を討ち取ることに成功する。 楚・媧燐の本当の狙いは函谷関突破 楚軍 VS 蒙武・騰・蒙恬・王賁で派手な動きを見せていた媧燐だが… 全ては目くらまし。本当の狙いは隣の戦場、函谷関の突破だった。精鋭部隊5000人が函谷関の裏手に到着。内側から函谷関の扉が開けられようとしていた! 奇策?王翦軍が函谷関に姿を現す 函谷関の陥落待ったなし!と言う状況に、姿を消していた王翦軍が応援に到着!王翦はオルドとの心理戦を制して函谷関の死守にも成功。オルドは攻めてこない、かつ函谷関の裏が危ないと読み切った王翦。 これにより合従軍は函谷関突破の大きな手掛かりを失い、合従軍はほぼ全軍が開戦前の位置まで軍を退却。函谷関を舞台にした熾烈な戦いは収束することになります。 合従軍16日目以降。李牧の別動隊が別ルートで咸陽を目指す 函谷関を死守したことで決着がついたように見えた秦VS合従軍。未だ終わりでは無かった。 函谷関の戦いとは別に、李牧は別動隊を動かしていた。 華沙白、宗、卵といった小城を次々と陥落させ、徐々に咸陽に近づいていく李牧。 その動きを察知した麃公軍と飛信隊は函谷関を離れて李牧軍を追いかける 武神 龐煖 VS 麃公 李牧軍に追いついた麃公軍だったが、そこには武神龐煖の姿が!