鉄剣・鉄刀銘文 - 鉄剣・鉄刀銘文の概要 - Weblio辞書
最終更新日 2018/9/7 7942 views 43 役に立った 熊本県の江田船山古墳から出土した鉄刀の銘文。1873年に出土。銘文は銀象眼で75字。後に発見された稲荷山古墳出土鉄剣銘により、「獲□□□鹵大王」は「ワカタケル大王」と読まれるようになり雄略天皇とされる。5世紀後半の雄略天皇のころには九州までヤマト政権の影響下にあったことがわかった。史料治天下獲□□□鹵大王世、奉□典曹人、名无□弖、八月中、用大鋳釜 并四尺廷刀、八十練、六十? 三寸上好□刀。服此刀者長寿、子孫注々得三恩也、不失其所統。作刀者名伊太□、書者張安也。
埼玉の稲荷山古墳出土鉄剣と、熊本の江田船山古墳出土鉄刀には、どちらも... - Yahoo!知恵袋
さ らに, 大王の名前の前につく治天下 (辛亥銘鉄剣の場 合は佐治天下) は, 古事記・日本書紀・日本霊異記に しばしば出てくる 「天皇の名を美しく飾る言葉」 と見 なされ, 漢語の地天下を直訳し, 輸入して利用しただ けと考えられていた. しかし, 稲荷山古墳出土鉄剣の 文字の発見により, 改めて注目され, 獲加多支鹵大王 (雄略天皇) の時代から用いられるようになった, と 判断された. 治天下大王は, 獲加多支鹵大王の君主号 として作り出された 531年説のひとつ 「辛亥年」は471年、雄略天皇(ワカタケル)の時代とされている。しかしこれは単なる推定に過ぎない。還暦60年後の531年もその候補となる。この時代の天皇はだれか。それはまさしく「寺」にもっとも相応しい人「欽明天皇」となる。 日本史教科書にもあるように、欽明天皇13年百済の聖明王が金銅仏と経典を倭国に送ったことが日本書紀に記されている(仏教公伝…538年) 仏教に帰依した欽明天皇は、自身の漢字一字表記を「寺」にしたことが十分考えられる。 埼玉県の古墳 埼玉県の古墳で前期に該当するものは、高稲荷古墳と諏訪山35号墳の2基だけ、中期に該当するものは稲荷山古墳と雷電山古墳の2基だけであり、この表に登場するような有力な前方後円墳の多くは古墳時代後期に築造されているのが特徴である。 そして、この事は、5世紀末に稲荷山古墳が築造される迄、毛長川流域の高稲荷古墳が、比企郡の帆立貝式前方後円墳である雷電山古墳がほぼ同規模であるものの、埼玉県内=武蔵北部における最も有力な前方後円墳であったという事だる。 高稲荷古墳を含む足立郡南部(旧入間川下流部流域)の勢力が埼玉古墳群成立前の武蔵国において、多摩川流域の勢力や比企地方の勢力と並ぶ、有力な勢力の一つであったと言う事はできるのではないだろうか? 前期古墳 高稲荷古墳 川口市 足立郡 新郷古墳群 75. 0m 前期 諏訪山35号墳 東松山市 比企郡 諏訪山古墳群 66. 埼玉の稲荷山古墳出土鉄剣と、熊本の江田船山古墳出土鉄刀には、どちらも... - Yahoo!知恵袋. 0m 前期 中期古墳 稲荷山古墳 行田市 埼玉郡 埼玉古墳群 120. 0m 中期 雷電山古墳 東松山市 比企郡 三千塚古墳群 76. 0 中期 とやま古墳 南河原村 埼玉郡 —— 69.
資料名 金錯銘鉄剣 よみがな きんさくめいてっけん 寸法 全長73. 5cm 稲荷山古墳の後円部墳頂の埋葬施設の一つである 礫槨 ( れきかく ) から出土した副葬品。剣身に表面57文字、裏面58文字の計115文字の銘文が金象嵌で刻まれている。その内容は「辛亥年」(西暦471年)に「ヲワケの臣」(または「ヲワケコ」)が「杖刀人首」(「杖刀人」のトップ)として「ワカタケル大王」(雄略天皇)に仕えたことを示すもので、日本古代史を解明する上で欠かせない超一級資料。 写真:4枚 更新:04/30 作成:04/16 管理