千葉・乗馬レッスン(騎乗体験・30分)|アソビュー! / 平松愛理が語る『部屋とYシャツと私』秘話 きっかけは親友の結婚式|Newsポストセブン
エバーグリーンホースガーデンは、乗馬倶楽部を中心に、『人と動物と植物との共生』と、 『こだわりのライフスタイルの探求』をテーマにスタートしました。 現在もこのテーマを基に、ブリティッシュ・ウェスタン両方のスタイルが楽しめる乗馬倶楽部をはじめとして、元気になれる逸品をご提供する本格レストラン「ation」 家族、友人と楽しめる体験型農園「ファーミングガーデン」、そして、あますところなく楽しんで頂くための施設『Lodge』&『AIRSTREAM-GARDEN』を設けました。 自然の遊び場で時を忘れ、贅沢なひとときをお過ごしください。
市原・長柄 ホーストレッキング(乗馬)/エバーグリーンホースガーデン|そとあそび
エバーグリーンホースガーデン
8. 28発売 ¥1, 200+税/UPCH-5967 [収録曲] 1 部屋とYシャツと私〜あれから〜 2 きっと届け 3 ありがとう (神戸明舞イメージソング) 平松愛理 Eri Hiramatsu 1964年生まれ、兵庫県出身。シンガーソングライター。1989年、アルバム『TREASURE』、シングル『青春のアルバム』でデビュー。1992年、シングル『部屋とYシャツと私』が大ヒットし、日本レコード大賞作詞賞などを受賞。1995年から阪神淡路大震災復興支援活動を始め、ライブイベント「KOBE MEETING」を毎年1月17日に開催している(2020年の25回目で終了することを発表)。2011年には、東日本大震災の被災地でコスモスの種をまく「花サカスプロジェクト」を発足。デビュー30周年を迎えた2019年、新曲『部屋とYシャツと私~あれから~』をリリースした。 Photo: Midori Kondoh Text: Kozue Suzuki Edit: Milli Kawaguchi
平松愛理が語る『部屋とYシャツと私』秘話 きっかけは親友の結婚式(Newsポストセブン) - Yahoo!ニュース
17 KOBE MEETING 2020 〜25年間、ありがとう〜 2020年1月17日(金) 兵庫県・神戸新聞 松方ホール 開場17:30 / 開演18:30 【出演】 平松愛理 サポートバンド[神戸ミーティングバンド]:Dr. 田中徹 / Bass. 山内和義 / Gtr. 上田和史 / Keys. 鈴木賢 【チケット】 全席指定 前売り ¥5, 000(税込) / 当日 ¥5, 500(税込) 発売中 【プレイガイド】 ・イープラス ・神戸新聞 松方ホール 【お問い合わせ】 1. 平松愛理 部屋とワイシャツと私. 17 KOBE PROJECT事務局(ひらまつ堂内) [E-Mail]kobe@ 収益金は震災&交通遺児支援施設「神戸レインボーハウス」(東灘区)、「東北レインボーハウス」、そして宮城県亘理郡山元町で行われている復興支援活動「黄色いハンカチプロジェクト」の維持管理を行っている「やまもと語りべの会」へ寄付します。
平松愛理が『部屋とYシャツと私』誕生秘話を語る いまやCDが売れない時代となってしまったが、1990年代初頭は日本の音楽業界がまさにバブル期! CDの売上はミリオン突破を連発し、カラオケも全盛だった。そして、今に歌い継がれる名曲もたくさん生まれた。 そんな1992年3月にリリースされ、大ヒットとなったのが平松愛理『部屋とYシャツと私』だ。この名曲誕生秘話を平松に聞いた。 * * * 『部屋とYシャツと私』は、親友から「私の結婚式で歌って」と頼まれて、「じゃあ、曲を作るわ」って引き受けた曲です。 当時の私は、結婚相手もいないし、結婚がどんなものかもわからないから、2か月くらいむちゃくちゃリサーチして書きました。結局は、うちの両親の話がもとになったんですけど、1番の飲みすぎて実家に帰る話の部分は、両親の新婚当時の実話です。 曲が完成して、親友の結婚式当日に初披露したとき、浮気したら「毒入りスープ」という怖い部分は新婦側はうわーって沸いたんですけど、新郎側はドン引き。「なに!? この温度差は!」と思いました(笑い)。 その後、この曲をアルバムに入れようという話が出たんですが、当初は平松らしくない変わった曲だって意見が多くて、周りから反対されました。 毒入りスープのくだりもそうですし、それまで3拍子の曲ってあまりなくて珍しかった。しかも、あの頃の曲はだいたい3~4分だったんですが、この曲は5分10秒と長い。 それまでのわりと優等生っぽい感じの正統派のシンガーソングライターという線からいくと、この曲はちょっとレアで特別、異質なものだったんじゃないでしょうか。 それでも絶対アルバムに入れたいと思っていたので、反対されたときはスタジオのお手洗いや非常階段で泣きましたよ。最終的には「やっぱり入れたい」と懇願して、やっと収録してもらえたんですけどね(1990年のサードアルバム『MY DEAR』に収録)。 そんな感じでレコーディングしたんですが、この曲に対する反響はまったくなし。やっぱり、周りのかたたちが言うように入れなきゃよかった、あの曲を入れて失敗だったと、そのときは思いました。 ところがその後、有線放送でたくさんのかたがたがリクエストしてくださいました。それがまた次のリクエストを呼んで、気づくとヒットチャートに入っていたんです。