収入が見合わない?きゃりーぱみゅぱみゅ、カードの使い過ぎで節約生活を宣言 | Asagei Biz-アサ芸ビズ
エンタメ 2019年10月21日 10:00 歌手のきゃりーぱみゅぱみゅが10月15日に放送されたラジオ番組「きゃりーぱみゅぱみゅの なんとかぱんぱんラジオ」(JFN)に出演し、節約を心がけていることを打ち明けた。 きゃりーは9月末に自身のツイッターで「節約します!!!!!!!!!!! 」と宣言していたが、今回のラジオでは「実は私、18歳からこの仕事をしてるんで、通帳の管理を母親がやってるんですね、いまも。いまも母親がやっていて、いくら使った、いくら入って来たっていうのを全部見てるんですけど、基本的にカード2枚、クレジットカードと銀行のカードを持ち歩いていて、銀行にも定期的に20万円くらいしか入ってないんですよ。使っていいお金として、減った分足してくれるんですけど」と母親がお金の管理をしてくれていることを説明。 なんでも、クレジットカードは上限が100万円で、基本的にそれを使ってご飯を食べたり、モノを買ったりしているそうだが、最近は支払いがかなり高額となっており、母親に注意されたという。 きゃりーは「別にこれといってめちゃくちゃ高いモノ買ってるわけじゃなくて、ほんとに積み重ねになっちゃってて。めっちゃショックで。それに自覚がないんですよ、そんだけ使ってるってことが」と、無自覚にお金を使い過ぎていることに気付いたそうだ。 その結果、「一平ちゃん食べてます。ほんと、それくらいの勢いで、10月は抑えていこう」「(タクシー禁止令も出されたため)歩いている」と、カップラーメンを食べたり徒歩で移動したりと、とにかく節約を心がけているようだ。 これには一般の人からも《売れっ子芸能人ならタクシーは仕方なくないか? 》《100万円ぐらいだったら芸能人でも使ってる人は使ってる》と、きゃりーの母親の締め付けに違和感を覚える人が多いようだ。 「ただこの1年、CDのリリースや配信もなく本業の歌手業は寂しいかぎりですし、CM出演本数も減っていますから、給料システムが歩合制であれば収入は全盛期と比べて落ち込んでいることは確かでしょう。お母さんがお金に厳しくなったのは、収入に支出が見合わなくなったために警鐘を鳴らしたのかもしれませんね。テレビにしょっちゅう出ているタレントであればタクシー利用は仕方ないでしょうが、今のきゃりーのメディア露出であれば、意外と気づかれず電車利用にも支障はないのかも」(エンタメ誌ライター) きゃりーとしては、タクシー禁止令が解除されるポジションにいち早く舞い戻ることが急務だろう。 (権田力也) きゃりーぱみゅぱみゅ, 節約
きゃりーぱみゅぱみゅの年収が凄い!彼氏との結婚は?すっぴん画像も | ここあのーと
SP』(フジテレビ系)で年収を「6000万円はあります」と告白。当時住んでいたのは家賃130万で200平米超えの超豪華マンションだと明かしていた。 3月17日放送の『有吉ぃぃeeeee! そうだ! 今からお前んチでゲームしない?』(テレビ東京系)ではダレノガレの新居で収録。有吉弘行が家賃について「前は100万円(以上)だったじゃん」と聞くと、ダレノガレは「それよりは下がりました」と明かしていた。 契約方法にもよるが、プロデュース業は売り上げごとに一定のロイヤリティーが入るため、オイシイとされている。アーティストは楽曲の印税のほか、映像作品、ライブのグッズ物販で儲けるケースも多い。 芸能界にはさまざまな「金のなる木」が成っているのだ。
中田ヤスタカは金沢が生んだ天才ヒットメーカー! 中田ヤスタカの出身地は、石川県金沢市です。1980年2月6日生まれの中田ヤスタカは、子供の頃からピアノを習い、10歳で作曲を始め、16歳の時にヤマハミュージックパブリッシングという大きなコンテストでテクニック賞を受賞しました。受賞した曲は、なんと数十分で作ったというから、その天才ぶりには驚かされます。その後1997年に、同じ金沢が出身地のこしじまとしこと、音楽ユニットcapsuleを結成し、2001年にメジャーデビューを果たしました。 そこから、映画のサウンドトラックの制作やDJなどへ活動の場を広げていった中田ヤスタカ。2003年にはPerfume、2011年にはきゃりーぱみゅぱみゅのプロデュースを開始し、一躍有名になった現在では、日本のみならず、世界的に活躍する音楽プロデューサーとしてその名を轟かせています。 中田ヤスタカの年収は少ない??