京都 ウトロ 地区 と は
廃屋に立てられた看板をよく見ると日本語と韓国語で書かれています。 その横にもいっぱい看板がありました。 これらの看板から、このウトロ地区が悲しい歴史をたどってきたことがわかります。 ウトロでは、不法占拠問題で国から立ち退きを命じられたり、右○団体からのヘイトスピーチの対象になったり、戦争問題・人権問題を始め様々な問題が起きました。 それらの問題を後世に伝えるべく、ウトロの住民がこれらの看板が作成されたのではないでしょうか。 ウトロ潜入 看板を一通り見た後は、ウトロ地区の散策兼潜入です。 電柱に「ウトロ」の文字が このウトロ地区に入って最初に思った感想は、「廃墟化した家ばっかやん笑」です。 どの家を見てみてもぱっと見完全に廃墟です。 バラック小屋 ゴミも散乱 ここは人が住んでそう 廃バラック小屋 ぐるっと一周回ってみると、中を見ることができそうな小さな廃バラック小屋を発見! 中を覗いてみるとまさかのお風呂とトイレでした。 ちゃんと浴槽も沸かし器っぽいのもあります。 しかし、トイレはやっぱりぼっとん便所!時代を感じます。 僕ら世代からするとぼっとん便所の仕組みはよくわからない…。下にう○こ溜まりまくったらどうするねんwww 廃屋① 次に歩いていると普通の民家を見つけました。 でも近づいてよく見てみると... 現地の声に耳を傾ける ― ウトロ地区「再開発」 | 瓜生通信. えっ!何これ... 普通の民家かと思ったら窓ガラスは割れていて、家の中の家具とかは残されたまんまでした。夜逃げでもしたのかと思うレベル。 他の民家はどうかというと ドアがあいてるので中を覗くと 教科書に載ってる「高度経済成長期の庶民の暮らし」みたいな部屋のレイアウト。 ここも家具とか置きっぱで廃屋になっていました。 廃屋② 今度は立派な一軒家を発見。 ぱっと見人が住んでそうですが、表札はなく廃屋でした。 そして、この家の近くには家の中の家具が全て放り出されてる! ここは粗大ごみを捨てる場所なのか、それとも何らかの事情で家の家具を全て出されたのかどちらなのでしょうか。 普通の民家とエルファ ウトロ地区では、廃屋が多いものの普通の民家も残っていました。 あきらかにバラックみたいな家から普通の一軒家まで色々あります。 町内会もあるみたいです。 そして、 「南山城同胞生活綜合センターエルファ」 という建物も発見しました。 調べたところによると、エルファは、朝○総連の施設で在日朝鮮人の方向けの相談や手続きなどをする施設みたいです。 このような施設があるのもウトロならではなのではないでしょうか。 最後に 最後に、現在ウトロでは韓国政府が公式に土地を購入し不法占拠の問題は解決されたようです。さらに、バラックや廃屋化していた家に住んでいた住人の多くは、ウトロ地区内に新しく建てられた市営住宅に移り住んでいるとのことです。 しかし、住民の中には 「強制退去 決死反対」 という看板を立てたり、立ち退きに反対している人も少なくありません。 これら多くの問題が本当の意味で解決することはあるのでしょうか。今後このウトロ地区はどのようになるのか興味深いです。 このウトロ51番地は、いろいろな意味で考えさせられる 裏スポット でした。 その他人気記事はこちら↓
- 現地の声に耳を傾ける ― ウトロ地区「再開発」 | 瓜生通信
- ウトロ地区で感動してるところ申し訳ありませんが、ウトロ問題は「朝鮮人が朝鮮人を追い出す」という点にあることをお忘れなく @soulflowerunion|田山たかし|note
現地の声に耳を傾ける ― ウトロ地区「再開発」 | 瓜生通信
ちゃんへん.
ウトロ地区で感動してるところ申し訳ありませんが、ウトロ問題は「朝鮮人が朝鮮人を追い出す」という点にあることをお忘れなく @Soulflowerunion|田山たかし|Note
軍用飛行場建設にたずさわった 朝鮮半島出身労働者たちの、 飯場があったウトロ地区。 現在はその子孫や流入者たちが住む 在日コリアン集落です。 宇治へつながる地「宇土口(うとぐち)」 という地名の「口(くち)」が いつのまにか「ロ(ろ)」と読まれ、 ウトロの呼び方が生まれました。 労働者たちが暮らした飯場小屋など 周囲とは異なる街が現在は残っていますが、 市営住宅建設のため 今まさに解体工事が進みつつあります。 当日、今もお元気な在日一世の オモニに、お話を伺う予定です。 土地の立ち退き訴訟など様々な問題を経て 新しい街づくりに向けて進むウトロ。 今まさに消えゆく街並みを訪ねます。
さんも実際に被災地や避難所に訪れパフォーマンスを行った。 避難所の次は仮設住宅になり、その後復興住宅へと移っていく被災者を見ている中で多くの人が「前の仮設住宅の方が良かった」と声が上がった。徐々に復興していく中で、ちゃんへん.