連合 国軍 最高 司令 官 総 司令 部
ビジュアル年表 写真と映像でふりかえる戦後70年 1章 マッカーサーがやって来た 2章 焼け野原から復興 3章 追及される戦争責任 4章 揺れる政治・外交 5章 空手チョップにわいた 6章 高度成長の足音 7章 高度成長とひずみ 8章 激動の政治、冷戦下の外交 9章 揺れる国内 10章 流行を追って 11章 娯楽とともに 12章 「バブル」と昭和の終わり 13章 失われた20年 14章 グローバル化のうねり 15章 あの日の衝撃 16章 世界で活躍 17章 平成のトレンド 18章 災害列島 戦前・戦中編はこちら
連合国軍最高司令官総司令部 Wikipedia
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「連合国総司令部」の解説 連合国総司令部 れんごうこくそうしれいぶ General Headquarters of the Supreme Commander for the Allied Powers GHQ,総司令部ともいわれる。 GHQは元来軍事上一般に設けられるものであるが,日本では特に 第2次世界大戦 後連合国が ポツダム宣言 および 降伏文書 に基づいて対日占領政策にあたるため,1945年8月横浜に設置した 連合国最高司令官 の機関をいう。同9月 15日 GHQ は 本部 を東京日比谷に移動。組織は, 人事 ,情報, 作戦 , 後方 の4部から成る参謀部 (いわゆる G1,2,3,4の各部) と,民政局,天然資源局,経済科学局,民間情報局などから成る特別部門を 根幹 としており,極東軍事裁判所もその管掌下にあった。連合国の対日政策決定機関として ワシントン D. C. 連合国軍最高司令官総司令部 五大改革. に 極東委員会 ,東京に GHQ諮問機関として 対日理事会 が設けられていたが,H. トルーマン 米大統領が連合国軍先遣部隊の厚木空港到着に先立ち,対日単独統治を言明したことにも明らかなように,実質的に GHQはアメリカの機関でありアメリカが最高権力を掌握していた。連合国ないしアメリカは GHQ指令を日本政府に与え,日本政府を通して実施する 間接統治 の方法をとった。 52年4月 28日対日講和条約の 発効 とともに廃止された。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 ©VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
560の専門辞書や国語辞典百科事典から一度に検索!