鹿島 神宮 香取 神宮 ツアー – 川崎市交通局 採用
東国三社って? 鹿島神宮 パワースポット日帰りバスツアー | Vipツアー(viptour). 「東国三社(とうごくさんしゃ)」 とは、茨城県にある 「鹿島神宮」 と 「息栖(いきす)神社」 、そして、千葉県にある 「香取神宮」 の三社を指します。 江戸時代には「お伊勢参りのみそぎ参り」と呼ばれ、伊勢神宮参拝後に、この三社を参っていました。 この三社参りのご利益がとてもすごいと、当時は相当な人気を誇ったそうです。 今でいう、「旅行ツアー」のようなものです。 関東最強のパワースポットと呼ばれる「東国三社」 三つの神社が「東国三社」と併せて呼ばれるのは… それぞれに祭られるタケミカヅチ、フツヌシ、アメノトリフネの三柱の神が、アマテラスに天界から派遣されて、 地上を譲るように迫った「国譲り」神話に由来 しています。 三社の御祭神の活躍により、国は平定していったのだとされています。 そのことからも、関東最強のパワースポットとも呼ばれ、また、鹿島神宮が「はじまりの地」とされることから、 新年のはじめにお詣りする、また何かを始める時にお詣りする と、さらなるご利益がいただけると言われています。 すごい事はわかった!ところで、どこから回る? ところで「三社詣り」ですが、「どこからまわればいいの?」と思われる方がいらっしゃると思います。 結論から言いますと、実は、 どこからまわってもOK です。 ご自分の都合に合わせてお詣りされると良いでしょう。 ただ、 「鹿島立ち」という言葉 からも、鹿島神宮が始まりの地だという事からも、ここから始めるのが良いとされる方もいます。 東京方面から来る方は、帰る方向を考えると、「鹿島神宮」→「息栖神社」→「香取神宮」の順番がいいかもしれません。 三社へのアクセス方法は? 鹿島神宮から始める場合には、 東京駅から高速バス があります。 これが一番便利ではありますが、もちろん、電車で行くことも可能です。 しかし、鹿島線は1時間に1本程度となり、時間によって乗り換えが変わりますので事前に調べてからが良いでしょう。 また、鹿島線内はSuicaがご利用になれませんのでご注意ください。 息栖神社に行くには、不便な場所にあることから、タクシー利用になるかと思います。 香取神宮にも、JR佐原駅よりタクシーになります。 どちらの神社も、公共機関で回るには、かなり不便な場所ですので、できれば マイカー利用 がおすすめです。 1日に回る上でも、車のほうが便利です。 では、早速それぞれの神社を見ていきましょう!
鹿島神宮 パワースポット日帰りバスツアー | Vipツアー(Viptour)
さらに、奥宮から右手に曲がった奥にあるのは 「要石」 昔は、大ナマズが起こすとされていた地震。 それを押さえつけているのが、この要石だとされてきました。 後ほど、香取神宮でもご紹介しますが、この要石は、 香取神宮の要石とつながっている とされ、かつて水戸光圀が、この石の大きさを確かめようと七日七晩掘らせましたが、結局掘り起こすことが出来ず、事故が頻発したので取りやめたと云われています。 なんと不思議な事があるんですね。 いまでもここはパワースポットと言われ、たくさんの方が訪れています。 透き通るような水面がインスタ映えスポット! 奥宮まで来ましたら、ぜひ、 「御手洗池」 まで足をのばしてみてください。 こちらも、パワースポットのひとつです。 古くから禊の場として使われてきました。 子どもが入っても大人が入っても同じ胸の高さに水面がくることから、 七不思議の一つに数えられて います。 その澄んだ水の美しさから、インスタ映えすると、世界の方から絶賛されています。 水温は一年を通して13度ほどで、一日40万リットルもの清水が湧き出ています。 また、その日、その日で池の色も違うので、いく度にいろんな顔を見せてくれます。 こちらが御朱印になります。 こちらが鹿島神宮の御朱印になります。 社務所でどちらも頂く事ができます。 必ず、どちらが欲しいか、または両方が欲しいか、きちんと伝えてください。 鹿島神宮 場所:茨城県鹿嶋市宮中2306-1 アクセス:鹿島神宮駅[南口]から徒歩約8分 東京駅から高速バス「かしま号」に乗り約2時間。 次は息栖神社に参ります。 ●息栖神社 井戸がご神体です! 東国三社詣りの二社目はこちら!
新勝寺 香取神宮 鹿島神宮に関する国内ツアー|阪急交通社
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604t 梅鉢鉄工所 21-E ブリル 25HP×2 直 接 水平片手把手々用 京都電氣鐵道株式会社より譲り受けたため詳細不明 広軌I型 明治45年6月の京都市営電車開業とともに登場した車両がこのI型高床木造四輪単車である。当時製作中のものを含め1~167号車の167両あった。開放式運転台,2段式屋根,2段胴羽目,中央ダブルポールである。 大正10年10月に168, 169号車の2両を増やし,大正12年5月には▼貴賓車2両を普通車に改造し170, 171号車となった。 このI型は,昭和25年4月を最後に全部廃車になったが,昭和13年に大連都市交通へ10両,長崎電気軌道へ5両譲渡している。 広軌I型 車 号 車 種 両数 乗車定員 自重 車体製作所 台 車 主電動機 制御装置 制動装置 竣工年月 計(名) 座席(名) 形式 製作所 1-30 高床四輪木造電動客車 30 48 20 約9t 天野工場 21-EM マウンティンギブソン 25HP×2 直 接 水平片手把手々用 明治45. 5 31-50 〃 20 〃 〃 〃 梅鉢鉄工所 〃 〃 〃 〃 〃 明治45. 5-7 51-90 〃 40 〃 〃 〃 天野工場 〃 〃 〃 〃 〃 明治45. 6-大正1. 11 91-93 〃 3 〃 〃 〃 〃 BL-21-E 汽車会社 〃 〃 〃 大正1. 11-2. 9 94-95 〃 2 〃 〃 〃 〃 21-E ブリル 〃 〃 〃 大正1. 11 96-166 〃 71 〃 〃 〃 梅鉢鉄工所 21-E 〃 〃 〃 〃 大正2. 2-2. 9 167 〃 1 〃 〃 〃 〃 21-E 〃 〃 〃 〃 大正2. 9 168-169 〃 2 〃 〃 〃 〃 MG21-EM 汽車会社 30HP×2 〃 〃 大正10. 10 170-171 〃 3 〃 〃 〃 天野工場 21-EM マウンティンギブソン 25HP×2 〃 〃 明治45. 6 貴賓車 明治45年6月に貴賓車1,2号車として2両が竣工した。車体寸法などは,I型木造単車(広軌I型)と同じであるが,座席数を8にして使用。材料を厳選し,入口窓枠など内装はチーク材を使い,床板の下張りは日本松,上張はチークおよびケヤキ板の網代張であった。窓は片側5箇所で欄間は模様入りガラスをはめ込み窓掛,椅子などは高価なものを用いた。大正12年5月に普通客車に改造。出入口回廊,座席,吊革などを取り付け170, 171号車となり,昭和25年1月まで活躍した。 貴賓車 車 号 車 種 両数 乗車定員 車体製作所 台 車 主電動機 制御装置 制動装置 竣工 年月 計(名) 座席(名) 形式 製作所 1, 2 高床四輪 木造電動客車 2 ---- 8 天野工場 21-EM マウンティン ギブソン 25HP×2 直 接 水平片手 把手々用 明治45.
10-11 1006-1010 〃 5 〃 〃 日立製作所 〃 〃 〃 〃 〃 〃 1011-1016 〃 6 〃 〃 日本車両 〃 〃 〃 〃 〃 昭和24. 12 1017-1027 〃 11 〃 〃 日立製作所 〃 〃 〃 〃 〃 昭和24. 12-25. 4 1028-1032 〃 5 〃 〃 広瀬車両 〃 〃 〃 〃 〃 昭和25. 4 1600型 ▼600型をワンマン・ツーマン兼用車に改造したもので,昭和41年12月に6両が竣工したのを手始めに,43年3月までに1605~1667号車の63両が竣工,同時に車両番号の変更を行った。この変更は「ワンマン」を意味するように車両番号を1000番台とし2000型改造による欠番整理も同時に行って1600代の番号とした。 車体は外板中程に赤帯を配し,前照灯の2灯化,妻及び外板ワンマン表示,出入口表示などのワンマンカー識別を施した。この他にもいろいろなワンマン装備を設け,完成後にもテープガイド装置や降車合図表示装置,警笛の電気化を追加装備した。 改造設計など工事の一部は当時の壬生電車車両工場で行った。この1600型は昭和47年1月に1635号車を1両,48年2月に5両,49年4月に2両,50年1月に4両と順次廃車され,昭和51年3月末の今出川・丸太町・白川線廃止と同時に残る51両全車を廃車した。 1600型 車 号 車 種 両数 乗車定員 車体製作所 台 車 主電動機 制御装置 制動装置 竣工 年月 計(名) 座席(名) 形式 製作所 1605-1620 小型低床ボギー 電動客車 16 84 34 日本車両 KS-40L 住友製鋼所 50HP×2 直 接 直通空気 昭和41. 12-43. 3 1621-1637 〃 17 〃 〃 〃 〃 日本車両 〃 〃 〃 〃 1638-1657 〃 20 〃 〃 汽車会社 〃 汽車会社 〃 〃 〃 〃 1658-1667 〃 10 〃 〃 日本車両 〃 住友製鋼所 〃 〃 〃 〃 1800型 ▼800型をワンマン化改造したもので,昭和43年10月から昭和45年3月までに70両が投入された。改造時に後部出入口を廃して中央寄りに出口を新設,ワンマン識別塗装の赤帯,前照灯の2灯化,ワンマン表示など1600型と同様の装備を追加した。旧867~870号車は間接自動制御器を直接式制御器に置き換え。旧801~865号車には床下にワンマン機器用の電動発電機を取り付けた。この形式はワンマンカーの代表車種として活躍。昭和52年の河原町・七条線廃止時に24両をまた昭和53年2月に2両を残り43両は昭和53年9月末の全廃時まで走り続けた。 (*下表の車両番号下3桁は旧車両番号) 1800型 車 号 車 種 両数 乗車定員 車体製作所 台 車 主電動機 制御装置 制動装置 竣工 年月 計(名) 座席(名) 形式 製作所 1801-1805 中型低床ボギー 電動客車 5 94 34 川崎車両 KS-40J 扶桑金属 50HP×2 直 接 直通空気 昭和43.